安閑

 朝方にぐっと下がった気温に冬の到来を覚悟したというのに、昼過ぎにもなれば羽織ったジャケットも脱ぎ捨てたくなるほどの陽の強さに汗が滲んだ。施設の中は空調が効いて幾分マシだった。大きな荷物を持つ人たちの隙間をかき分けて足早に歩く。
 目当ての飛行機が到着したアナウンスが流れて、慌てて1階の到着ロビーに向かう。
 手荷物受取場から出てくる旅客の中、周囲よりも頭一つ分高い人物を見つけた。人の流れに沿って歩くその姿を見失わないように、駆け足で追いかける。

「鉄朗くん!」

 いよいよこの距離なら声が届くだろうというところまで追いついて、背後から声をかける。振り向いた彼が、自分よりも後ろの方に視線を向けたことに気づいて慌てて手を挙げた。
 交わる視線。まさかいるとは思わない人物がいて驚いたと目を丸めて驚く彼に、してやったりと渾身の笑顔を向ける。

「来ちゃった」 「いや、びっくりするって」
 人波を避けるように通路の端に移動する。
 いつもとは逆に荷物を預かろうかと手を出せば、重いぞーなんて言いながらスーツケースの持ち手はそのまま彼の大きな手に握られている。
 出張で各地を飛び周る鉄朗くんの帰りがちょうど休日だったこと、いつも空港まで迎えに来てもらってばかりだったこと、加えて今日は彼の誕生日だ。日付の変わったころにお祝いの言葉は電話で伝えたけれど、やっぱり顔を見て言いたい。そんなわけで、帰宅を待ちきれなかった私がサプライズも兼ねて迎えに出向いたというわけだ。
 朝までのメッセージでは一切そういうことを匂わせないように気を付けたので、思惑通り驚いた彼の姿を見られてしてやったりの気持である。

「誕生日おめでとう!」

 数日ぶりに直接顔を見合わせる。得意げに鼻を鳴らせば、見上げた先の目元がふっと和らいだ。人目なんて気にせず飛び込むように抱き着けば、軽々と受け止められて、またそのことに頬が緩んだ。
 久々の逢瀬を堪能したいところではあったけれど、ここに来るまでにいい汗を搔いていたことを思い出した。
 再び人の流れに沿って、並んで歩く。歩幅を合わせて歩いてくれているのに気づいてまたふふ、と鼻が鳴る。

「電車?」
「レンタカー!」
「は?」

 普段車の運転なんて鉄朗くんに任せきりにしているため、彼は心底驚いたように声を上げた。

「待った。家から?」

 立ち止まった彼に倣って足を止める。二人で通路の端に寄る。

「家の近くにあるところで借りた」
「聞いてないけど? 事故ってないよな?」
「失礼じゃない? ちゃんと安全運転で来ましたー」

 免許証に金色の帯が印刷されているのは、単に普段から運転する機会がないからだ。おそらく日常的に運転する機会があればとっくに青色の帯になっている。そんな危うさを知っているから、こうやって言われるのはなんとなく予想がついていた。

「初っ端そんなん聞いたら肝冷えた。帰りはボクが運転します」
「なんで? 行きと一緒だから大丈夫!」

 迎えに来た意味ないじゃん、と頬を膨らませれば、助手席の方が疲れそうと言われた。
 空港に来るだけなら電車や空港バスが便利だけれど、迎えに来るとなれば荷物があっても便利な車がいいと判断したまでだ。スマホの地図で検索すれば片道一時間もかからない。不慣れな運転でもいけるだろうと思って来たのだけれど、鉄朗くんの考えは真逆だったようだ。

「無事でよかったです」
「ゆっくり来たって!」
「首都高乗った?」
「さすがに自殺行為だから乗らなかった。時間かかったけど下道」
「ナイス下道」
「ナビつけるとすぐ首都高乗せようとしてくるよね」

 いつも鉄朗くんとドライブするときは気づいたら乗っているのが首都高だけど、車線変更や降りるタイミングが難しく初心者へペーパーには難易度の高いルートである。本当は何度か怪しい場面はあったけれど、そんなことを言えば彼の肝が凍ってしまうので黙っておく。
 結局荷物は持たせてもらえないまま、駐車場に着いた。

「……これ借りたの?」
「ハイ」
「普段運転しない人間が借りる車種じゃねえって!」
「大きいの乗りたかった」
「寿命縮むからやめて」

 当然のようにレンタカーといえばコンパクトカーだと思っていたらしい。荷物があるからとちょっとだけ張り切って大きめの車種にしてみたけれど、鉄朗くんの心労が増しただけだったようだ。

「帰りも運転しようか?」
「マジで勘弁して。俺のいないところでこんなの運転するなよ」

 心底呆れたように、鉄朗くんはわざとらしく項垂れた。

「帰ったらお誕生日祝いのディナーとケーキの用意があります。それでなんとか」
「……許します」
「やったー!」

 鼻歌交じりに助手席へ乗り込んだ。
 帰り道もナビは当然のように首都高を通るルートを示したけれど、鉄朗くんは難なくその帰路を安全に運転してくれた。
 帰宅して美味しい夕飯とデザートを食べながらも思い出したように「二度としないように」と何度も約束させられる。しばらくは金色の帯が維持できそうだ。


お誕生日おめでとうございます!
20241117