おやつの時間
※結婚してます
※子どもいます


 小鳥が囀り、柔らかな陽が差し込む春の日だった。ちょうどよく明かりが差し込む部屋には香ばしい香りが立ち込めている。
 バタバタと近づく小さな足音に、赤井はラップトップから視線を外した。
「っ、ダディ!」
 父親と同じグリーンの瞳を輝かせて、天真爛漫な笑顔を浮かべながら少女は飛び上がるようにして赤井の胸に収まった。
「帰ってくるなら教えてって言ったのに」
 可愛らしい唇を尖らせていじけたように言葉をこぼす少女のこめかみにキスを落として、赤井は小さく微笑んだ。
「すまないな。急な予定だったんだ」
「今度はどこに行ってたの?」
 赤井を見上げて首を傾げる様は母親である彼女によく似ている。
「日本だよ」
 それを聞いて少女は落胆の声を上げた。
「ずるい!」
 私も行きたかったのに、と今度こそへそを曲げてしまいそうな様子に、赤井は優しく少女の頬を撫でた。
「お前は学校があるだろう」
「休めばいいもん」
「……そんなことを言うとママが困るんじゃないか?」
「ダディだって、子どもの頃は言うことを聞かない憎たらしい子坊主だったんだってメアリーお婆様が言ってたわ」
「…………」
 皮肉な笑みを浮かべる自身の母親を思い出して、赤井は閉口する。過去の自分を引き合いに出されては、勝てるはずの舌戦も雲行きが怪しくなる。
 今度の日本への旅は、過去の合同捜査の後始末のためだった。日本は、少女の母親の生まれ故郷でもある。じっと無垢な眼差しを向ける少女に根負けした赤井は、いつか休暇を取って一緒に行こうと約束した。
「その時、ダディのお友達にも会わせてくれる?」
「ああ」
「やったあ!」
 その穏やかな時間は、赤井にとって春に吹くあたたかな空気のようなものだった。心地が良くて、思わず居眠りをしてしまいそうな。任務ではほとんどをセーフハウスで過ごしているからこそ、余計にそう感じるのだ。帰る家があるというのは、たとえどんなことがあっても絶対に生きて帰ってやらねばという気にさせられる。以前までの赤井はそんなこと考えたことすらなかったのに。
「……ところでお前のママはどこに行ったんだ?」
「クロテッドクリームを切らしたから買いに行ってくるって」
 いつしか英国生活に染まった彼女の必需品でもあった。おそらく今焼いているスコーンに使うものだろう。
 軽々と少女を抱き上げて玄関から外に出ると、ちょうど庭の向こうから駆け足で寄ってくる彼女の姿が見えた。
「しゅ、秀一さん……!」
 少女は身軽な様子で赤井の腕の中から地面へ降り立ち、肩で息をする彼女を宥めるように小さな手のひらで背を撫でた。彼女は赤井と視線を合わせると、薄らと赤らめた頬を緩ませた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 何か言いたげに少女は「ほら、ママ」と彼女の背中を押す。その後押しで彼女は足を踏み込んで赤井の胸に飛び込んだ。
「会いたかった……!」
 彼女の鼻にかかった声が、赤井の胸を熱くさせた。その時、ぎゅっと足元に回った小さな腕に気がついた。片方の腕で小さな身体を抱き上げると、彼女は今度は二人まとめて抱え込むように腕を回した。バランスを崩してもおかしくないその勢いに、赤井はふっと笑みを漏らす。
「……感動の再会はありがたいが、オーブンは大丈夫なのか?」
「あっ!」
 慌てて顔を上げた彼女に、少女は落ち着いた様子で言った。
「一度目は焦がしたのよね、ママ」
「シッ! 言わないでいいの!」
「ホォー」
「っ、秀一さんが帰ってくる時までに作り直せばいいと思って……!」
「でもそれも失敗しかけてる」
 少女はやれやれ、と子どもらしからぬ動作で肩を竦めた。
 部屋に向かった彼女を二人で追いかけると、ほんの少しだけ焼き目の濃くついたスコーンが焼き上がっていた。オーブンから立ち込める香りが空腹を刺激する。
「ギ、ギリギリセーフ!」
 あはは、と乾いた笑いを浮かべながら彼女は誤魔化すように手早くスコーンをバスケットに入れていく。赤井も少女も顔を見合わせて、開いたオーブンから少しだけ白煙が上がっていたのは見ないふりをした。
 少女を椅子に座らせて、赤井はキッチンでテキパキと支度をする彼女を手招きする。
「? 秀一さんはコーヒーだよね?」
 見上げて首を傾げる彼女に、さっきどこかで見た姿だな、と赤井は思わず笑みを浮かべた。
「キャ〜!」
 軽いリップ音と重なって、可愛らしい歓声があがった。
「っ! あ、わ……!」
「ママ、このいちごジャムみたいに真っ赤」
「不意打ちはずるい……。不意打ちは……!」
 初々しく頬を赤らめながら呟く彼女を椅子に座らせる。反対に少女は冷静だった。
「ダディ、ママがこうなることわかってやってるでしょ」
 彼女の代わりにキッチンで飲み物の用意をしながら、赤井は肩をすくませた。
 ようやく三人がテーブルに揃い、そわそわした様子の少女が声を張り上げた。
「ダディ、おかえりなさーい! かんぱーい!」
「かんぱーい!」
 不思議な乾杯の掛け声に赤井は目を丸めて二人を見やる。
「……ティーカップで?」
「良いことがあるといつも乾杯するもんねー!」
 少女は母親と顔を見合わせながら、ねー! とティーカップを掲げた。少女のティーカップにはミルクだけが注がれている。赤井はブラックコーヒー、彼女はアールグレイで赤井家のお茶会が開かれる。
 昨日見た映画に出ていた英国人俳優がカッコよかっただの、メアリーとショッピングをしただのと女子二人のお喋りは尽きない。
 日本人らしくいただきます、と手を合わせてスコーンを持つ彼女と、はみ出しながらジャムとクロテッドクリームを塗り込む少女を見やりながら、赤井はカップに口をつけた。


#1週間で2個書き隊のお題より
20230504