きみの彼氏になりたい
「やあ」
 補助監督の仕事を終え、あとは家に帰るばかり。昼食はすっかり消化され、空っぽの胃が今にも鳴き出しそうだった。夕食のメニューを考えながらさ扉を開けたところ、五条さんが廊下に立っていた。
「えーと、お疲れ様です」
「うん、お疲れ様。じゃあ行こうか」
 当たり前のように彼は私の手を引いて歩いていく。抵抗するのはもう諦めた。
 こうして任務の終わりに食事に連れて行かれるようになったのは、ここ数ヶ月のことだった。きっかけは、私が伊地知さんの後輩であったことだっただろうか。食事に誘う理由を聞けば「一人で食事なんて味気ないじゃん」と返ってきた。任務後の食事なら、ほとんど五条さんの専任のようになっている伊地知さんと一緒に行けばいいのにと言ったところ、伊地知さんにすごい顔をされたので黙った。
「冷蔵庫に買い溜めた野菜が残ってるんですけど……」
「じゃあ君の家にする?」
「五条さんも来る前提なんですか?」
「うん。ダメ?」
「ダメです」
「残念」
 そうは思っていなさそうな声色で、五条さんは笑った。
 連れてこられたのは、カジュアルなイタリアン のお店だった。ずっと気になっていたお店だったので、お店を見て心躍りしたのを気づかれてしまったかもしれない。
 五条さんはその長い身体を屈ませて覗き込んで笑みを浮かべた。
「気に入った?」
「……はい」
 少し前に硝子さんと話題になった店だった。イタリア帰りの有名なシェフが開いたお店で、平日でも予約しないと入れないようなところだ。
 案内されたテーブルに座り、五条さんとたわいもない世間話をする。最初は緊張して会話になっていなかった時もあったけれど、今は慣れた。あまりにも整っているせいでよく見られなかった顔も、何度か見ていると慣れてくるものだなとひとりでに感心した。
 食事はどれも美味しかった。本場で磨かれたシェフの腕は間違いなかったらしい。付け合わせのパンでさえ、おかわりしたいほどだった。
「美味しい?」
「はい!」
 ワインでほろ酔いの?は緩い。へらりと笑った私に、五条さんは満足気に頷いた。
 次は今回頼めなかったメニューを食べてみたい。レストランにはテラス席も設けられていたから、次は夜風にあたりながら食事をするのも良さそうだ。今の時期ならきっと心地いいだろう。
 五条さんが注文してくれたティラミスがこれまた美味しくて、もったいなくて小さなスプーンで少しずつ口に運んだ。
「君って、本当に美味しそうに食べるよね」
「だって美味しいですもん」
「うん。だから美味しいところ選んで来てる」
「え、そうだったんですか。ありがとうございます」
 グルメな人だと思っていた。もともと家がしっかりしているから当たり前なのかもしれないけれど、五条さんに連れて行ってもらうお店はどこも美味しくて素敵なところだった。
 モテる男性は美味しいお店のストックが多いと聞く。きっといろんな女性を連れて行き慣れているんだろう。
 スマートにお会計を済ませて(払うと言ってもいつも出させてもらえない)、五条さんと夜の街を歩く。
 少し冷たいくらいの風がアルコールで火照った肌に心地よかった。るんるんと鼻歌混じりに歩く私の前で、五条さんはぴたりと足を止めた。
 急に止まるものだから、顔面から突っ込んで地味に鼻が痛む。これ以上低くなったらどうしてくれるんだ。
「ねえ」
「痛……。なんですか?」
「僕たちっていい友人?」
「友人……そうなんじゃないですか?」
 どちらかというと上司と部下という関係な気もするが、これだけ食事を共にしているなら友人と言っても差し支えないかもしれない。その辺の平の補助監督の私が御三家中の最強呪術師とお友達かと言われると、いい顔をしない人もいそうだけれど。
「友人、やめたいんだけど」
「え! あ、そうですか……なんかすみません……」
 友人だと思うのは、やはり調子に乗りすぎだった。こちらを振り向いた五条さんの顔を見られずに、頭を下げる。
 世間一般的に、上司と部下であっても食事には行くものだった。飲みニケーションなんて言葉があるくらいだ。この僕と友人だなんて何言ってんの、とか思われているのだろうか。ただ、ひたすら恥ずかしい。
「待って。なんか勘違いしてない?」
「すみません。勘違いしていました。大先輩である五条さんと友人だなんてとんだ失礼を……」
「は? 違う違う! なんでそうなるんだよ……」
 焦燥の色を含んだ彼の声に恐る恐る視線だけを向けた。五条さんはため息を吐いて、しゃがみ込む。いつも見上げている彼の顔を見下ろす形になる。
「あのさ、」
「はい……」
「わかんないかな?」
「何がですか?」
「君の彼氏になりたいって言ってるんだけど」
 その時の私は、ぽかんと間抜けな表情で固まってしまっていたと思う。「おーい」と五条さんが手を振り、数秒。はっとして五条さんを見つめ返す。
「僕が下心丸出しで誘ってんのわかんなかった?」
「……わかんないですよ」
「わかれよ。君にしか声かけてないだろ」
「そんなのわかんないですよ。ずっと一緒にいるわけでもないし」
「そうだね。でも極力会いには来てただろう?」
 思い返せば、食事に誘われることもだけれどいつ何時もふらりと現れては出張のお土産をくれたり、「最近どう?」なんて声をかけてくれていたっけ。
「……五条さん、私のこと好きなんですか?」
「好きじゃなかったら誘ってない」
「最初から言ってくれればいいのに」
「最初から言っても君は了承しないだろ」
 五条さんは最強だけれど、高専所属の補助監督からの評判は良いとは言えなかった。五条さんの対応ができるのは伊地知さんくらいだったし、きっと最初から好意を示されても私は断っていただろう。
「そういう作戦だったんですか」
「そ。伊地知に君は美味しいもの好きって聞いたから」
「あー、だから」
 なるほど。これまでの五条さんの言動に合点がいく。
「で、返事は?」
 少しだけ思案した素振りを見せる。考える人、みたいなポーズでううんと唸ると五条さんは「え、振られるパターンは考えてなかった」と呟いた。自信がすごい。
「いいですよ」
 頷けば、五条さんはぱあっと花が咲いたように笑顔を浮かべた。
「今度、君の家に行ってもいい?」
「え、ダメです」
「なんで! 彼氏ならいいでしょ!」
「ダメです」
 恥ずかしいから。照れ隠しで足を速めても、足の長さですぐに追いつかれてしまう。
「五条悟の彼女になりましたって言いふらしてもいいからね」
「それはちょっと……」
 五条さんと付き合っているなんて知られたら、好奇の目にさらされることは間違いない。頃合いを見て少しずつ、と思っていたのに、翌日出勤した時にはもうすでに詰所では「五条悟と付き合い始めた」という話題で持ちきりだった。

20221103
#1週間で2個書き隊のお題より