可愛いぼくらの意地っ張り

 工業高校では男子生徒がほとんどを占めている。バレンタインが近づいて学校全体が浮き足立つのも仕方ないと思う。
 チョコレートをもらうために、義理でもいいからくれと自分を含めた女子生徒に声をかけて回るクラスメイトに適当に頷いて机に肘をついた。
「……だる」
「ちょっと、何言ってんの! バレンタインくらい女子力上げてこ!」
「この学校で女子力とかないよね」
 紙パックのミルクティーを啜りながら数少ない女子の友人に毒づいた。チョコレートには何の恨みもないしむしろ好物だが、この日だけはどうも苦手だった。毎年恒例の女子のグループ内でのチョコレート交換があるし、それは楽しみなイベントのひとつだ。だから、バレンタインに向けて準備はするが、年頃の女の子らしく本来のバレンタインの目的なんて考えたこともない。海外では男性から女性に日頃の感謝や愛の告白をする日だと聞いた。何故日本だけ女性から男性へ、しかもチョコレートを渡すという習慣がついたのだろう。『義理』というのもよくわからないし、男子のくだらないメンツのために何故自分の好きでもない男に贈り物をしなければいけないのか。三年の憧れの先輩にチョコレートを渡すつもりだとはにかんで笑った隣のクラスの友人が羨ましい。片想いの相手でもいればわたしだってこのつまらないイベントともう少しまともに向き合えたかもしれない。
「……適当に板チョコ溶かして固めるわ」
「すごい手抜き! まさか私たちにもそれ出す気?」
 眉を潜めた友人に、女子へ渡すものはもう少し手をかけるつもりだと伝えると彼女はあからさまにほっと息をついた。
「私はねー、今年はガトーショコラ作るんだ」
「頑張ってね」
 他人事のように言うと、友人は「もう!」と地団駄を踏んだ。
も頑張るんだよ!」
「はーい」
 空になったパックを吸うとズズッと行儀の悪い音が響いた。

 *

 バレンタイン当日。朝っぱらから男子生徒からも女子生徒からも心なしかそわそわとした雰囲気が漂っていた。友人たちと交換する分とクラスメイトにばらまく用のチョコレートを適当にかばんに突っ込んで家を出た。彼らのように特別に渡したい相手もいなければドキドキもないわたしにとって、バレンタインなどただの平日だった。
 下駄箱にもしかしたらチョコが入っているかも、なんて妄想してすぐに落胆した様子を見せる男子生徒を横目にすたすたと廊下を歩いていく。
「あ、」
 教室へ向かう途中、階段のところでばったりとクラスメイトの二口と遭遇した。部活の朝練終わりなのか、おはようと声をかけると「おう」と返ってきたその手にはスポーツタオルが握られていた。
「朝練?」
「そー」
「元気だねえ……」
「ババアかよ」
 そんな相変わらずの会話をしながら二口と並んで教室へ向かった。肩にかけられたスポーツバッグの中に、彼に似合わない可愛らしくラッピングされた包みを発見して思わずあっと声が出た。
「いいだろ?」
 わたしの視線の先に気づいた二口がそれを取り出してひらひらと見せびらかす。二年生で同じクラスになり気づいたことだがこの目の前の男、外見は申し分ないのに性格に難ありだった。男子生徒が多いこの学校内で美形だと騒がれていたから、クラスメイトになった当時は目の保養だなんて喜んでいたものだ。
「二口って顔だけはいいからね」
「だけってなんだよ」
「そのまんま」
 よかったね、と嫌みたらしく言って義理とは言い難い凝った包装のそれを一瞥した。
 二人で教室に入ると、先日義理のチョコレートをたかっていた男子生徒が、顔をみるなり挨拶もそこそこに手を差し出してきた。キラキラと期待に満ちた視線にはぁとため息をはいてかばんから包みをひとつ取り出してその手の上に置いた。
「やったぜ! サンキューな!」
 そう残して、男子生徒はぴょんぴょんと跳ねて他のクラスメイトの輪に戻っていった。
 二回目のため息を小さくこぼして自分の席へ向かおうとすると、隣にいた二口に腕を掴まれていて前に進めない。なんだどうしたと顔を上げると、眉を寄せた二口が小さくぼそりと呟いた。
ってバレンタインとかすんの?」
「は? どういう意味?」
「……別に。もらった方が可哀想だなって思っただけ」
「はあ?」
 二口はそれだけ言うと、ぱっと掴んでいた手を離して自分の席についた。さすがにわたしでも失礼なことを言われたことはわかる。しばらく二口の背中を見つめていると、おずおずと彼のそばに寄った女子生徒にまたもチョコレートらしきものを渡されていて、それに笑顔で対応する二口にわけがわからなくて顔をしかめた。ちょうど教室に入ってきた友人に「ハッピーバレンタイン!」と浮かれた声で肩を叩かれて、なんとなく強めに叩き返した。

 *

 昼休みにいつものメンバーでチョコレート交換会が行われ、わたしのかばんにはさまざまなデザインの包装のチョコレートが数個おさまっていた。そのほとんどが手作りで、ほうと感心する。彼氏にあげるもののついでに作ったこだわったトリュフだったり 、わたしみたいに女子用だけに作ったガナッシュやチョコタルト。いろんな種類のチョコレート菓子をもらって、素直に嬉しかった。家に帰ったら再放送のドラマでも観ながら食べようと思い、帰りのHRが終わってすぐにわたしは足早に教室を後にした。

「あ、青根くんだ」
 前を歩く背の高い友人を見つけて声をかける。
 青根くんとは一年生の時に同じクラスでよく技術演習でグループを組んだ。それからクラスは離れてしまったが、彼は背が高くて目立つし、校内で見かけたときには挨拶をするような仲になった。部員と揃いのスポーツバッグを肩にかけて、わたしの声に振り返った青根くんの隣には二口の姿もあった。
 ふたりとも部活がんばってね〜と手を振ると、青根くんはウスと頭を下げた。同級生なのにもっと気軽にしてほしいと過去に何度も伝えたことがあるが、彼は結局変わらずにこんな感じだ。もう少し打ち解けたい気持ちもあるが、これも彼のもち味であると諦めていた。
 挨拶もそこそこに帰ろうと踵を返しかけて、そういえば、とあることを思い出した。青根くんに手を出すように伝えると無表情なまま彼は片手を出す。その上に溶かして形を改めただけの手作りというにはおこがましいチョコレートの入った包みを乗せた。ちょこんと乗っけられたそれを見つめて、青根くんは固まっていた。
「…………」
「バレンタインのだよ」
 そう言うと、彼は理解したのかぶんぶんと頭を振った。小さく「ありがとう」と言った彼の声を聞いたのは久しぶりだ。じゃあ、とそのまま彼らと分かれようと足を進めたがそれは叶わず、何故か二口に腕を掴まれていて、不審に視線を向けるとどこか不満気な二口がこちらを見ていた。
さん、俺もいますけど?」
「見えてますよ、二口くん」
「知っててやってんのかよ。腹立つな」
 二口は悪びれもなくチッと舌を打った。そして、口をへの字に曲げて無言で手を出した。なんだとそのまま見つめていると、もう一度先ほどよりも大きい舌打ちが聞こえた。
「……俺には?」
「え、ないよ」
「はあ〜!?」
「うわ! ちょっとうるさい」
 突然の大声に耳の奥が痛んだ。適当に作ったチョコレートは事前にたかってきたクラスメイトたちに配ってしまったし、余った最後のひとつを思い出して青根くんに渡したのだ。二口の分など考えてもいなかったため、くれと言われてもどうしようもない。
「一つしかないもん。あれで最後」
 青根くんの手の上に乗っかったそれを指さして、青根くんと半分こしてくださいと口を開けて手を出したままの二口に伝えた。
「……ていうか、もらう方が可哀想って言ったの誰だっけ?」
 そもそも人にもらったチョコレートを見せびらかせて、失礼なことを言ったのは誰でもない二口ではなかったか。自分の言ったことを棚に上げて言う彼を睨みつけた。ぐうの音も出ないといった様子の二口に、はあと息をついた。
「……そんなに欲しいならまた作ってくるけど」
「…………………いる」
「ん?」
「いるっつったんだよ!」
 人からものをもらう態度ではないところが気にかかるが、あんな稚拙なチョコレートでもせっかく欲しいと言ってくれる人がいるのなら。わたしは頷いて二口を見やった。しかし、これではその可哀想な人たちの中に二口も入ってしまうがいいのだろうか。まあ、本人がいいと言ってるならきっと大丈夫なんだろう。
「じゃあ、作ってくる」
「おう」
「青根くんのも作り直そうか? それ適当だし」
 青根くんのものを指さしてそう言うと、彼はふるふると首を振って構わないと言った。
「あんなにもらったのにまだ欲しいなんて、二口がそんなにチョコ好きなの知らなかったわ」
「……お前」
「なに?」
「なんでもない。もういい。いいから俺用の、ちゃんと作ってこいよ」
「わかったよ」
 原料になるチョコレートは新しく買い直さなければいけないが、友人たち用に使った生クリームやナッツはまだ家に余っている。帰り道にスーパーにでも寄るかな、とこれからの予定を考えてみる。寄り道したらきっとドラマの再放送には間に合わないだろうう。
「先に言っておくけど、美味しくなくても文句言わないでよ」
「それはまた別だろ」
「なにそれ、めんどくさいな」
 青根くんがあ、と声を上げる。青根くんは二口の腕を引いて、部活に間に合わなくなるからと慌てたように駆けて行った。がんばってねーと去っていく二人の背中に手を振った。
 やっぱりバレンタインなんて面倒だ。そう思いながらも、バレンタインに誰か特定の異性のための手作りするというのはほとんど初めてということに気づいた。少しそわそわとした気持ちを隠しながら家路へとついた。


20160211
20220510加筆修正再掲