大学生にもなると、社会人と付き合っているという同期も多くなった。大学生になったというだけで、高校生までの学生時代と比べてひとつ、大人になったような気がする。
飲食店でのアルバイトくらいでしか社会経験のない私には、彼の仕事というのはあまりイメージがつかないでいた。担当さんとの打ち合わせだ、締め切りだとかでデートの途中で急な仕事が入ることもあるし、そういう場合にはもちろんそちらが優先になる。会いたいときに会えないというのは、周りの学生同士の恋愛を常日頃見ている私としては少しばかり寂しいものがある。
今日だって、なんとか時間ができそうだと言うから久しぶりに二人で会う約束をして、普段よりも気合いをいれて化粧をしたし新しい洋服だっておろした。最近公開された映画でも観ようと話をして、待ち合わせ場所にショッピングモールを指定したのは彼の方なのに。
約束の時間になっても連絡もなく、《ごめん、仕事で遅れる》。そんなメッセージが届いたのは映画の上映時間が五分に迫った時だった。
一人で映画を観る気分でもなくて、始めのメッセージ以降うんともすんとも言わないスマートフォンを握りしめて、モール内のショップを見て回った。
欲しいと思っていた洋服やアクセサリーを見ても買う気にはなれなくて、結局ウィンドウショッピングに終わる。おしゃれな洋服や雑貨は見て回るだけでも楽しいはずなのに、先ほどから出るのはため息ばかりだった。多くのショップやレストランが集まり、映画館、ジムやゲームセンターなどのエイターテイメントな施設も充実しているこの場所は、平日の夜でも大盛況な様子だ。
私のように一人でいる者もいれば、カップルや家族連れの姿も多く見られた。フロアの少し開けた場所に、西洋風にデザインされた時計台とその前に設置されたベンチに座ってスマートフォンを確認する。思った通り、通知があるわけもなく変わらない画面が表示されていてまたひとつ大きくため息を溢した。
彼の仕事に対して理解しているつもりはあっても、私はまだ学生という身である。社会なんてアルバイトでしか経験したことがないし、仕事をすることの大変さなどまだ知らない子どもなのだ。我が儘になって自分の擁護にまわってしまうのは、仕方がないと諦めてほしい。
ベンチに腰かけて、手持ち無沙汰な私は賑やかなフロア内のお客さんを観察した。父親らしき男性が小さな男の子を抱き、母親と三人で仲良く歩く姿。学生同士らしいカップルが手を繋いで身を寄り添って歩く姿。年配の男女が並んで仲睦まじく歩く姿。どの人も楽しそうに見えて、独りぼっちの私は意気消沈。
普通のサラリーマンと学生のカップルでも会いたい時に会えて、そばにいてくれる人の方が羨ましい。
「ねえねえ、一人?」
ベンチで俯いていると、隣に座った見ず知らずの男性から声をかけられた。「暇してるならお茶しない?」小綺麗なスーツに身を包んだ男性は爽やかな笑顔でそう言った。
「彼がいるので」いつもならそう言って断るのだが、仕事で連絡のつかないその相手への当て付けと夕食時のこの時間帯に一人でお店に入るのも憚られて、目の前の男性の誘いを承諾した。
「偶然だね、俺もその大学の卒業生なんだ」
「あー……。そうなんですか」
二人で近くのカフェに入り、コーヒーを飲む。自分でついてきておいて酷いことを言うが、男性との会話はひどく退屈だった。どうでもいい情報をペラペラと一方的に話す彼に適当に相槌を打つ。
「連れの人来ないんならさ、一緒に遊びに行こうよ」
「えーと、それは大丈夫です」
適当にお茶して話すだけ、そう思っていたが調子に乗ってきた男性の誘いはしつこさを増す。タイミングを見て上手いこと抜け出さないと面倒だなと機会を伺いながら話を続けていた。男性の手が肩に回りいよいよ振り切って帰ろうかと心に決めたとき、店内のガラス越しから見慣れた姿を見つけてガタッと立ち上がる。その拍子で、コーヒーの少し残っていた紙コップが傾いてテーブルを汚した。
窓の先にいた赤葦さんも、しっかりと私の姿を確認したはずなのに、なぜか何事もなかったかのように店の前を通りすぎた。慌てて店を飛び出して、赤葦さんの腕を掴む。見下ろされた瞳は冷たくて、当て付けだなんてバカなことを考えた数分前の自分を恨んだ。
「あ、赤葦さん……」
「デート?」
「え?」
「さっきの人と」
にっこりと、まるで他人事のように言われて、自分のしたこと軽率さを一瞬で後悔した。
「ごっ、ごめんなさい!」
「悪いことしたって自覚あるんだ?」
「う、ハイ……」
「いいよ、今日は俺も悪かったし。ごめんね」
そう言って、頭にのせられた手にほっと胸を撫で下ろした。そのあとの「次やったら許さないけど」と耳元で呟かれた言葉に、身が縮んだ。赤葦さんを見上げて、もう二度としませんと心に誓う。
「はい」と差し出された手を取ると、先ほどここに到着したのだろうか、赤葦さんの手は冷たかった。
「映画観られなかったね。何しようか」
「とりあえず、お腹空きました」
「そうだった。俺も」
二人でレストランのあるフロアまで歩く。赤葦さんが隣にいると思うと、先ほどまで羨ましくみていたカップルや家族連れの姿がこれっぽっちも気にならなくて自分の単純さに思わず笑ってしまった。
二人で悩んで、結局海鮮がメインの和食料理屋に入る。レストランフロアは最上階から二階に分かれており、窓際から見渡せる夜景はこのモールの売りであるらしい。それでなくても、この周辺はデートスポットとしても有名だ。レストランの案内のスタッフは私たちをカップルと見ると、窓際の横並びのシートに案内した。
「わあ、観覧車綺麗ですね」
「この後行く?」
「行きます! 一度乗って観たかったんです」
「そう言うと思った」
商業ビルや高級ホテルなどの高層ビルが立ち並ぶ一角に、さほど大きくない遊園地がある。夜になるとイルミネーションで飾られる観覧車はまるで大きな花火のようだ。
赤葦さんは私の前では仕事の話はあまりしない。企業秘密に関わるし、何より一般人の私に専門の話をしても私が理解できないという理由もある。その代わり、赤葦さんは私の話をいつもよく聞いてくれる。私ばかり話していてつまらなくないのかと聞いたことがあるが、ぺらぺらと話す私が面白いのだと言う。おかしな趣味だと思う。
「いつも忙しくてごめんね」
「ぜ、全然平気です!」
「そう?」
私の考えなどお見通しだという目で赤葦さんは笑う。正直、こんなに寂しい思いをするなら赤葦さんと付き合わなければ良かったとも思ったこともあった。同い年の女の子たちの楽しそうなデートの話を羨んで、この状況を耐えて付き合っていきたいと思うのは相手が赤葦さんだからだ。
「は学生だから、まだわかんないかもしんないけど」
「うん……」
「なりたくてなった仕事だから、忙しくてもしっかりやりたいんだ」
「それは、わかってます」
どこを見るでもなく窓の外を見つめて言う赤葦さんの横顔を見つめた。窓ガラスに反射した高層ビルやイルミネーションの明かりがキラキラとお互いの姿を照らす。
「今の仕事が終わってもまだしばらくは大変だとは思う」
「しばらくって」
「早くても数年かな」
「数年……」
赤葦さんと付き合い始めてから、もうそれは覚悟の上だ。三年も経てば私も大学を卒業し就職する。
今よりももっと二人の時間は減ってしまうんだろうか。そう思うと辛いものがあるが、それでも赤葦さんと一緒にいるためだったら我慢したい。いや、我慢できる。仕事のことで赤葦さんを支えることは学生の私には難しいが、せめて信じて耐えるくらいはしてあげたいとそう思った。
「それで、考えたんだけど」
「うん?」
「うちに来ない?」
「……ん?」
赤葦さんの言葉を聞き返したちょうどその時、始めに注文したサラダを運んできたウェイターに遮られる。
何もなかったように運ばれてきた料理を小皿に取り分ける赤葦さんが、はいと私にそれを差し出したところで、停止していた思考が再び動き出す。
ちょっとまって。なんだって?
混乱する私をよそに赤葦さんは「美味しそう」と並べられた料理を箸でつまんでいた。
「え!?」
「うん」
「まっ、うち……。うちって!」
「俺の家」
「うそ」
「わざわざこんな嘘言いません」
言葉にならず吃っている私とは反対に、赤葦さんは冷静にこれ美味しいよと料理の感想を述べた。
「で、どうする?」
「どう、って……」
「二人で住むには部屋の広さも充分あるし、あとはの返事次第」
「そんなの……、」
「うん」
「そんなのオッケーに決まってるじゃないですか!」
思わず出てしまった大きな声に自分でも驚いて、手で口を塞いで辺りを見渡した。ほとんど満席状態でたくさんのお客がいたが、皆それぞれの会話や食事を楽しんでいてこちらの様子など気にも止めていなかった。それにほっとして、赤葦さんの方を見ると「そう言ってくれると思った」と言って笑っていた。
「……びっくりしました」
「ずっと考えてたんだけど、言う機会なくて」
「嬉しいです……」
「放っておいて、さっきみたいに変な男についていかれても困るしね」
「うっ、ごめんなさい……」
涼しい顔をしていたが、やはり先程のことは根に持っていたようだ。こちらも重々に反省しているから、今回だけで許してほしい。そんな願いを込めてわざと上目使いで見上げると、「これでチャラ」と額にデコピンをされた。手加減しすぎて全然痛みなど感じなかったが、それは自分の心の中だけに留めておいた。
「家に帰れる時間は少ないかもしれないけど、今よりは会えるでしょ」
「はい!」
「が家で待ってると思うと俺も嬉しいし」
そんな、嬉しくてたまらないのは私の方だ。いつの間にか赤葦さんによって取り分けられていた料理の数々を目の前にすると、驚きで忘れていた空腹が一気に戻ってきた。手付かずだった料理をばくばくと胃に収めながら、明日から花嫁修行を始めることを決めた。
「美人なモデルさんと一緒にお仕事しても私がいいって言ってもらえるような良い女になりますね!」
「なんの心配してんの」
「だって、赤葦さんの」
「担当は違うけど……。まあ、そういう人とお仕事することはあるかもね」
「ほら!」
「他にいけないくらいが誘惑してくれたらいいんじゃない?」
頬杖をついてにやりと笑ってそう言った赤葦さんに、心臓がうるさく跳ねる。
頑張りますと震える声で応えて、見たこともない彼の同僚やその仲間たちに勝手にメラメラと闘争心を燃やした。
20160123
20201219
昔書いたものを改訂しました。