いつまでたってもあの日のままで
 高校を卒業してから故郷を離れ、東京で今の職についてもう数年。皆で集まらないか、という同級生の連絡を受け、高校時代の面々を思い出した。飲み会はあまり得意ではなかったが、久しぶりの同級生たちが懐かしくなり出席の返事を出した。
 金曜日の仕事が終わり、その足で新幹線に乗って宮城へと帰る。実家の両親にも歓迎され、周りの結婚報告に「あんたはどうなの」と急かす母親の言葉を尻目にしながらも、久しぶりにゆっくりと過ごすことができた。同窓会、というよりは集まって騒ぎたいのだろう飲み会へ一緒に行こうと仲の良かった友人へ連絡をとってみると昔話に華が咲いた。
「ねえ、明日の松川も来るよ」
「うん、参加になってたの見た。ていうか、私のって何よ」
「だっての王子様だったじゃん」
 懐かしいよね、と笑いながら話す友人の声を頭の奥で聞きながら、当時のことを思い浮かべる。
 松川とは同じクラスで、席も近かったことから必然的に仲良くなった。バレー部に所属していた松川は身長が高く、他の騒がしい男子たちよりも大人びて見えていた。仲良くなるにつれて松川に好意を抱いた私は、本人にその想いは伝えることなく卒業した。気持ちを伝えようという勇気もなく、周りの友人とこっそり「王子」と呼んで心ときめいていたのは小っ恥ずかしい記憶だ。バレー部には、校内の女子から人気を集める及川がいたため、そちらの影に隠れてかあまり派手な噂は聞いたことがなかった。しかし、高校生らしからぬあの達観した雰囲気にときめかない女子はわたしだけではなかっただろう。
「顔は悪くなかったからね。彼女いなかったらどうすんの?」
 狙っちゃえば?
 電話の先でニヤついているであろう友人がありありと目に浮かぶ。
 大人になった松川? そんなのかっこいいに決まってる。
 あれから何年も経つというのに、私は東京に出てからも出会う男性と彼を比べてしまって勝手に落ち込んでいるような未練がましい女なのである。
「いや。さすがに彼女いるでしょ」
 淡い期待を抱いても、現実というものは厳しいのだ。少々興奮気味で話す友人に期待するだけ無駄だよ、と諭し通話を終了させた。



 同窓会に選ばれた会場は安っぽいチェーン店ではなく、この辺りでは少しこじゃれたバーだった。一杯目のカクテルを片手に持ち、集まった面々のスーツ姿や早く結婚した友人の家庭話なんかを聞いて大人になったんだなと実感する。
 ぞろぞろと集まりだした同級生たちの中に彼の姿を探す。彼がいたからといってどうしようということはない。ただ、かつて片思いをした相手がどう大人になっているのか少し、ほんの少しだけ興味があるだけなのだ。
 幹事の挨拶に口を挟みながら皆で乾杯の声をあげる。卒業後すぐに上京してしまったこともあり、ほとんどの人と久しぶりに顔を合わす。適当に輪に入って話をしていると、ふと反対側の角でワイワイと騒がしい男子グループの中に松川を見つけた。元より大人びた雰囲気の人ではあったが、二十代半ばもさしかかり周りの同級生など比べてもやはり落ち着いた雰囲気の彼は変わらず魅力的だった。そんな私に目ざとく気付いた友人から、先ほどからニヤニヤとした視線をもらっている。どうなっているか気になる、とは言ったがどうかしようとは思っていない。私の身体を肘で小突きながら、彼女は口を開く。
「リングありませんねぇ」
「どこ見てんの」
「はあ? 常識でしょ?気になってる男がいたらまず薬指を確認!」
 そんな常識があったのか、とちらりと彼の手に目の向けると確かに両手薬指には異性の存在を匂わせるものはない。はっとして、それに安堵した自分に頭を振る。指輪がなかったとしても、この男性を周りの女が放っておくわけがないだろう。
「もう終わってるからいいの」
「さっきから未練がましくチラチラチラチラ見てるのは誰よ。バレバレだかんね」
「うっ……」
「あんたさ、そんなこと言ってると一生独身よ。結婚なんて夢のまた夢の夢の夢よ。――まあ、理想の男とどうかなるなんてそれも夢みたいな話なんだけど」
 彼女は、どこか遠く何かを噛み締めるように呟いた。
 松川を理想としてしまい、男性とのお付き合いになかなか踏み切れていない私には至極正論だ。友人の薬指に婚約者から送られたリングが光っている。もう子どもが何人いるとか、彼と婚約しただのという話題が当たり前になっているこの歳でいつまでも理想を追い続けている私は異端なのだろう。
 近くにやってきた見覚えのある男たちも加わり、あの頃は誰が好きだっただの人気だっただの、当時の教師はどうしているかという思い出話で盛り上がった。笑いながらもひとり悶々と彼のことを考えながら、アルコールに強い彼女と「まあ、飲んでよ」と勧められるがままにお酒をあおった。

 お酒は強い方ではない。普段飲まない量を知らず知らずのうちに超えていたようで、ひとしきり騒いだあとで酔いが回ってしまった。同様につぶれてソファーに寝転がっている者もいれば、酒の強い者は飲み比べで大盛り上がりだ。
 血の気の引いた私の顔色を心配した友人に少し休むと告げてひとり皆と離れてカウンターに腰をかけた。これまでに酔いに負けて粗相をしたことはないが、明日ははじめての二日酔いを経験するのかと思うと憂鬱だった。
 ――松川はどうしただろうか。あまり飲んで騒ぐようには思えないためもしかしたらもう帰ったのかもしれない。手元のグラスを手に取ると水はもう空だった。カウンターの奥にいるスタッフに声をかけようとすると、ふいに自分を覆った影から「水二つ」と声が落ちる。
「久しぶり」
「え、あ……」
 松川だった。
 スタッフから水を受け取り、ひとつを私に寄こす。溶け出した氷がカランと小さく音を鳴らした。
「ありがとう。……もう、帰っちゃったかと思った」
「あー、帰ろうかとも思ったけど」
「うん」
と話してねーし」
「う、うん」
「俺のこと忘れたのかと思った」
 はは、と破顔した松川に胸が跳ねた。
 やっぱり、私はこの人が好きだった。いや、好きなのだ。クラスメイトや部員と集まっているときいつでも冷静で、周りの人のことをよく見ていて落ち着いたように見えて、でもこうやってふいに笑顔を見せてくれるときがあった。それがたまらなく好きだった。
「わ、忘れるわけないでしょ」
「そう? よかった。はい、乾杯」
 松川がそういって、お互い水のグラスを傾けた。酒のせいか松川も少し頬が赤い。
「結構飲んだんだ?」
「あー、あんまり強くなくて」
「そうなんだ」
「……松川も?」
「うん、酔ってるかもな」
 二人の間に沈黙が流れる。手持ち無沙汰でただひたすら手元の水をちびちびを飲んだ。
 隣に座る松川をちらりと見上げた。昔の面影はあるのに、大人になった。彼も私も、確かに時間を進めていたのだ。彼を知らないでいた数年間に勝手に嫉妬した。彼がどんな風に、誰と過ごしたのか。どうして数年前の私は勇気が出せなかったのだろうか。
松川は何を考えているのだろう。久しぶりだから、わざわざ声をかけてくれた? 皆と離れて飲んでいたから? 酔っている人を放っておけなかった? それとも――、
さぁ、」
「う、うん」
「田中とあんなに仲良かった?」
「……うん?」
 田中。
 誰だろうと、それぞれの顔を思い浮かべて、先ほど一緒に飲んでいたクラスメイトの男子だと気付いた。どちらかというと田中は友人と仲がいいのだ。それをどうして松川が、と顔をあげると少し不機嫌そうな表情の彼がいた。
「近かったね?」
「え、そうだった?」
「うん、このくらい」
 ぐい、とこちらに顔を寄せてきた松川の息がかかる。少しアルコールも混じったそれは、彼が酔っているということを証明した。
「ま、松川くん、飲み過ぎでは……」
「そうかもな」
「近いよ」
「近くしてんの」
 確実に酔っている。松川って酔うとこうなるんだ。自分の知らない彼を知られたようで少し嬉しくなる。ふふ、と笑った私を戒めるかのように、さらにぐっと近づいた松川に後退して椅子から落ちそうになる。ずり落ちそうな私の腰に手をまわして支えられると、さらに近づいた距離に狼狽える。
「……っ! ちょっと!」
「……結婚は?」
「は!? 予定ないけど……」
「じゃあ、彼氏は?」
「どうせいませんよ」
「はは、そっか」
 さすがにこんなにくっついていたらみんなに怪しまれるからと松川の胸を押すと、彼は渋々と距離をとる。アルコールのものだけはない火照りが全身を巡った。きっと顔もトマトのように赤いだろう。それを知ってか知らずか松川は笑っていた。私ばっかり気にして馬鹿みたい。松川の態度にムスっとしながら彼に問う。
「……松川はどうなのよ」
「どう思う?」
「……これでいたら、彼女に悪いでしょうが」
「いないって」
「……ねえ、私で遊んで面白がってる?」
 とても楽しげな松川とは逆に私の眉間のしわは増えるばかりである。
 「遊んでねーよ」と言った松川が私の左手をとる。左手の薬指。ドキドキしすぎて松川の顔が見られない。何も言わず指を這うだけの自分とは違う角ばった松川の手を見ていた。
「なあ、」
「……」
「高校んとき、俺のこと好きだったんだよな」
「え、は? え!  な、知って……!?」
「俺も」
「は……、」
「俺も好きだった」
 勢いよく松川を見上げる。酔っているから、からかってそんなことを言うのかと思った。しかし、松川の顏は真剣なものでその考えは違うことに気づく。
 松川が私を、好きだった。
 その言葉を理解した直後に身体は急激に熱を持つ。松川は「真っ赤だな」なんて笑っているけど、それどころではない。絶対にバレないように、友達でいられるようにと平静を努めていた当時の私の態度や行動は松川からしたらバレバレであったらしい。
「付き合うか」
 ちょっとそこまで、とでもいうような軽い口調で松川がいう。あまりに突然の展開に、何か言わなければと思うけれどパクパクと金魚のように口を開閉を繰り返すことしかできなかった。
に拒否権はナシな」
「な、なし?」
「うん」
「……ズルくない?」
「今更でしょ」
 釈然としないような表情を浮かべるわたしをみて、「これからよろしく」と破顔する彼に、やっぱり私は昔と変わらずこの人に惹かれていると、そう思ってしまった。
 
20150731
加筆修正20201118
引っ込めていたお話をまだ出してみました