京治くんと偶然に再会してからしばらくの間、二人でご飯に行ったりなんかしていた。
私は仕事、京治くんは講義やバイトに忙しい日々であったが、時間があればどちらからともなく声をかけるような仲になった。友人と言うには浅く、恋人候補というにもあっさりとしたこの関係がとても気楽だった。
京治くんと最近公開されたSF映画を観に行こうと約束をした週末。前日の金曜日に、京治くんから研究のレポートが行き詰っているという連絡を受けた。また今度にしようかと言ってその約束は延期となったが、どうしてもその映画を観たかった私は京治くんに断って一人で観に行くことにした。映画館の入るようなビルにはおしゃれなレストランやカフェが多く集まっているし、美味しいランチでも食べて午後に映画を観ようと決めた。
最寄りの駅から電車に乗って三十分もしないうちに都心に出る。
いくつもある劇場から、都合の良い上映時間を調べてそこに向かう。今は昼前だが、夕方近くのチケットを買って少し街中をぶらぶらと見て回ることにした。
週末で人も多く賑やかなこの辺りはさまざまな種類の商業ビルがあり買い物をするにはもってこいの場所だ。少し歩けば緑の多い大きな公園もある。公園の脇には大学や専門学校なども並んでおり、改めて大都会の利便性に感心した。
「なに食べようかな」
公園近くまで適当に歩く。その途中の道でもチェーン店はもちろん、おしゃれなハンバーガーのお店や英国風のカフェ、コーヒーを売りにした古風なカフェなど気になるお店をたくさん見かけた。
いい具合に空腹を訴える胃袋と本日のランチを相談する。家でなかなか食べないようなハンバーガーでもいいし、カフェでランチプレートも捨てがたい。食後に美味しいコーヒーだって飲みたいし、考えれば考えるほど決められない。こういうときに京治くんがいてくれたら「じゃああそこにしましょう」とすぱっと決めてくれるのだろうななどと考えた。
悩みながら歩いて気づいたら公園まで来ていた。そのままぶらぶらと園内の歩道を歩いていると、芝生の上でお弁当を広げている家族連れやカップル、ベンチで近くの移動販売のハンバーガーを食べている若者がいた。テイクアウトにしてここで食べるのもいいかもな、とそう思ったとき、見慣れた姿を見つけて足を止めた。
「あ、」
「あっ」
私の声が聞こえたのか向こうも足を止めて、あからさまにマズイという表情を見せた。
レポートで忙しくしているのではなかったのか。片手によくあるコーヒーショップのカップを持って、同世代らしき女の子と並んで歩いている京治くんを見つけてしまった。
「京治くん知り合い?」
友達同士というには二人の距離は少し近すぎるように感じた。私がそう思うだけで、最近の若い子はそんなことあまり気にしないのかもしれない。
不安気な表情で京治くんを見上げた女の子が視線をこちらに向ける。そのとき感じてしまった。絶対的に自信に満ち溢れたその瞳は明らかに私を敵視していた。これはきっと女同士にしかわからない。
京治くんが口を開くより先に、にこりと余所行きの笑顔で頭を下げた。
「こんにちは。デート?」
少しも嫌みに聞こえないようにと努めた。女の子が高い可愛らしい声で「はいっ」と返事をしたのを聞いて、くるっと踵を返した。
背後で聞こえた京治くんの声なんか知るもんか。空腹も忘れて、そのまま最寄り駅までの電車に飛び乗った。
*
「若い子こわい」
「あはは」
「笑いごとじゃないよ!」
「騙されたら笑ってあげるって言ったでしょ」
先日した約束通り友人はただ書かれた文字を読むように笑った。一息ついて「さらっと遊んばないと」と言って、持っていたグラスに口をつけた。
今日もまた友人を呼びだして二人でいつものバーに立ち寄っていた。お酒を読むような歳になると、すぐお酒に逃げてしまうのはよくないと思う。しかし今がまさに飲まないとやっていられない状態である。
「じゃあもう京治くんは終わり?」
「終わり。なんかあの女の子に負けたとは思わないけど、京治くんの隣を勝負する気にはならないわ」
「まぁねぇ……」
「なんだかんだ言ってあんた結構ハマってたんじゃない」と笑った友人の言葉がずぐりと刺さる。胸の奥にひっそりと生まれていた気持ちが鉛のように重く感じた。友人と同じタイミングで飲み干して空になったグラスを掲げてスタッフに「おかわり!」と声をかけた。
*
結局終電間際になって、友人が家に誘ってくれたのだが今日は家に帰ることにした。
終電にぎりぎりに滑り込んで扉のすぐそばに背中を預ける。週末の終電は、ラッシュとまではいかないが人が多い。同じように飲んだ帰りだろうとわかるほど顏を赤らめた人、つり革につかまりながら船を漕ぐ人。人の多さに紛れていちゃいちゃとくっついているカップルを見つけてしまってげんなりした。
ブルルと震えたスマートフォンを見ると、新着メッセージの通知が表示されていた。先日からずっと無視を決め込んだそれは届くたびに未読の数字が増えていく。きっと開いたら返信したくなるし、かといって完全に拒否をしてしまうにはまだ未練があった。少しずつ受信の間隔が長くなるそれを途絶えるまで待つつもりなのか。友人にこぼした不満とは裏腹に、自分の諦めの悪さに自嘲した。
最寄りの駅について改札を出る。私の他に降りた乗客たちがそれぞれの帰路に分かれてバラけていった。
突然、ぐっと掴まれた腕に驚いてそれを振り払う。振り返った先にあったのは、久しぶりに見る京治くんの姿だった。
「さん」
「け、京治くん。びっくりするじゃん」
「なんで連絡くれないんですか」
「ごめん、忙しくて」
「嘘」
少し飲みすぎてしまったことを後悔した。私と京治くんの距離は、ひと一人分はあるのにきっと強いアルコールの匂いが彼にも届いてしまっている。眉を顰めて「飲んできたくせに」と言う京治くんから黙って視線を逸らす。
「ちゃんと話したいんですけど」
「私は話すことない」
「じゃあ聞いてください」
京治くんを無視して歩き出そうとした先を遮られて、閑散とした駅の構内で二人で立ちすくむ。
「……じゃあ、せめて送らせてください」
「いい、いらない」
「いいから」
この間と同じように、京治くんが私の腕を引いて歩き出す。突っぱねて逃げても家を知られてしまっているから意味がない。
家までの道を二人で歩く。前と違うのは少し前を歩く京治くんが手を離さないのと、流れる沈黙がただひたすら重く苦しい。さっきから何度もここまででいいと言うのに、京治くんは毎回頭を振って否定した。
「……じゃあ、ありがとう」
マンションのエントランス前で立ち止まる。京治くんに掴まれた腕はまだ離れない。こんな深夜にわざわざ申し訳ないという気持ちで謝ると、京治くんが静かに口を開いた。
「さん、今何時ですか」
「ん? 一時――、ねえ」
「電車ないです」
着けていた腕時計で確認するととっくに日は変わっている。まさかと思って声をかけると、しれっと彼は衝撃の事実を口にした。京治くんの家のある方面の終電なんてもう何分も前に終わっていた。
まさか、計画的な行動だったとでもいうのだろうか。
「……ずるくない?」
「こうでもしないと会ってくれないでしょう?」
「こわい」
「そういう性格なんで、すみません」
掴んだままの腕を引かれて、マンションの中に足を踏み入れた。
ここは私のテリトリーのはずなのに、京治くんが優位に立っているように思えるのは何故だろう。お金を渡して無理矢理タクシーで帰すという方法もあったのにそれを言い出せなかったのは、胸の奥の奥で諦めの悪い期待を燻らせていたせいだ。
20160217