天体観測
 金木犀の香りが落ち着く秋はあっという間にすぎて、早くも冬到来。太陽が顔を出す日中は暖かいのに、朝と夜は気温は一桁が当たり前。雪こそまだ降らないけど、近所の家や店が石油のタンクを準備し始めたのを見て、本格的に冬が始まるのを実感した。
 湿度の下がる冬は、空気中の妨害物もほとんどない。黒々とした澄んだ空に欠けた月が浮かんでいる。同じように、はっきりと見える冬の大三角形に、オリオン座。一際大きく紅く光るおおいぬ座のシリウス。ゆっくりと星のことを考えることなんてほとんどないけれど、何年も前の理科の授業で習ったことを未だに覚えていたりする。吐き出す息の流れに沿うように、白が夜空に溶け込んでいった。
 指先までニットを伸ばして、ぐるぐる巻きにしたマフラーに顔を埋める。上半身は完全防備しているのに、女子高生は下半身の防寒が弱すぎる。刺さるような冷たい風に、無駄に足踏みなんかしてみたりする。
 家までの近道であるちょっとした広場を抜けたところで、同じ制服にバッタリと遭遇した。
「お、
「花巻だー」
 花巻は挨拶代わりに「オッス」と片手を上げると、肩にかけたバッグを持ち直す。何にも守られていない首元が寒そうで、なぜかこっちが身震いする。
「遅くね?」
「図書館で勉強してた」
「あー、だからコッチから」
 部活も引退して、三年生はすっかり受験モードだ。花巻は部活の功績もあり、スポーツ推薦を決めたらしい。就職組や推薦組はすでに進路が決まっているので、これから試験を控えているピリピリとした空気に居た堪れない思いをする者も少なくない。だからといって、彼らが空気を読まず遊んでいるわけでもないのだけど。
 夜の九時を回るところだ。部活はないし、予備校でもない。こんな時間にどうしたのかと尋ねれば「自車校」と花巻はハンドルを握る真似をして見せた。
「へえ! すごい」
 同級生が車を運転するなんて、なんだか変な感じだ。
「や、でもまだ。ジュウハチになんないと試験受けさせてもらえねーの」
「そうなんだ」
 それでもやっぱり変な気分。親や周りの大人たちがすることを今度から私たちもできるようになるのだ。
「てか、花巻誕生日いつなの?」
「一月」
「ふうん」
 二人で歩道を歩いていると、時々すれ違う車で風が流れる。その度に身体を縮こませるのだけど、やっぱり花巻は寒そうに見えた。寒くないのかと聞けば「まだイケる」と返ってくるから根本的に身体の作りが違うのかもしれない。
 車の通らない間、ちらほらと並ぶ家から漏れる灯りだけがぼんやりと道を照らしている。見上げれば、歩くスピードに合わせて追いかけるように星も動いているように見える。
「うお、超星見える」
 私の視線を追って、同じように空を見上げた花巻が感嘆の声を漏らす。
 よく見える一般的に有名な星だけじゃなく、粒子のような星が散らばっている。こういう時だけは、田舎に住んでいてよかったと思う。寒いし、何もないし、寒いし、観たいテレビだって観られないこともあるけど、こういう星空を日常的に観られるのはここじゃなきゃできなかっただろう。
「まだ発見されてない星とかありそうだよな」
「そんなの、めちゃくちゃ大きい望遠鏡じゃないと見つけられないんだよ。それもめちゃくちゃ小さいやつ」
「マジかよ。自分で見つけた星に名前つけるのが夢だったわ」
「へえ、意外。 何て名前つけんの?」
「スーパータカヒロデラックスシャイニングスター」
「え、ダサ」
 意外とロマンチックなことを考えているのだなと感心したのに、ふざけたような名前を言うから思わず本音がだだ漏れた。
「…ちなみに聞くけどどういう意味?」
「適当」
 適当にそんなダサい名前をつけられる星に同情したくなる。花巻が天文学者を目指していなくてよかったと心から思う。
 そう思って、ふと少し前に観たテレビ番組で、そういう天体の特集をしていたことを思い出した。
「そういえば、お金払えば星に名前つけられるって聞いたことある」
「マジ?」
「マジ。テレビで観た」
 調べてみるわ、とスマホを取り出して花巻は早速検索を始める。きっととんでもないくらいのお金が必要なのだろうし、関係ない話だと思うけど。あまり期待をせずに花巻を待つ。
「金貯めよーかな」
 画面を見ながら花巻は感心したようにうなづくと、とんでもないことを言い出した。
「ホントに? すっごい高そうなんだけど」
「や、そーでもないんだよなぁ」
 そう差し出されたスマホを受け取り画面を覗き込む。バイトをしない私たちには大金だけれど、本気で頑張れば割と買えそうな値段ではある。花巻は、興味深けに画面を見つめている。
「え、まさか…」
「スーパータカヒロデラックスシャイニングスター」
「マジで笑うから勘弁して」
 今後、そんな名前がついてしまう選ばれし運のない星に心の中で手を合わせた。

 そんなアホみたいな話をしていると、いつの間にか私の家の近所まで来ていた。
「花巻、学区一緒だったっけ?」
「俺アッチ」
 花巻が指を指した先は、元来た道を戻る方面だ。
「えっ」
「途中曲がるの忘れてたわ」
 そう言って笑う鼻先はほんのりと赤味が差している。
「え、ごめん。送ってく」
「いや、俺来た意味ないでしょ」
「や、でも、」
「じゃあ帰りまーす」
 この話はこれで終わり。その先は言わせまいと花巻はくるりと方向転換をして、元来た道へ足を進める。
「あ、ありがとう! 気をつけてね!」
「俺の星探しながら帰るわ」
 後手にひらひらと手を振って、花巻は足早に帰って行った。
 そのあと、何が映ってるのかよくわからない真っ黒の写真が送られてきたけど、多分これはシリウスだ。明日また学校で教えてあげよう。星が好きとか詳しいとか、そんなことは全然ないのだけどたまには星を観ながら帰るのもいいのかもしれない。

20161106