心湧く夜
「ねえ、合コン行ってきてもいい?」
 昔から友達みたいなノリの楽しい奴で、可愛い可愛い俺の彼女がそう言ってきたのは先週のことだった。
「え? は?」
「合コン! 彼氏いるって言ったけど、それでもいいって言うから。人数足りないんだって」
「いや、よくねーだろ」
 何言ってんだと彼女を見やるが、その本人は合コン行ったことないから楽しみだなー、とワクワクしたように笑っているので唖然とした。
、合コンって何か知ってる?」
「貴大がよく行くやつじゃん?」
「行ってねーし……」
「忘れもしない大学一年生の春。あの時は英文科の女の子だっけ? その次の週に国際経済の先輩たちと、」
「あー! わかった! 行った! 行きました!」
 はほら見ろと一瞥をくれる。
 彼女の部屋の小さなテーブルに並べられた、彼女のお手製の夕食をつつきながらううんと言い淀んだ。
 お互い地元を離れて一人暮らしの身。週末は飲みに出ることが多いが、平日は時々こうしてどちらかの家で夕食をとる。たわいの無いこの時間が至福の時だった。
「いや、やっぱ合コンはないわ」
「大丈夫。自己紹介でちゃんと彼氏いるって言うから」
 合コン自体に行かせたくないのに、やけに自信ありげには言う。合コンに来るような男は、相手の女の子に彼氏がいようが人数合わせだろうが知ったことではない。
「ダメ。やっぱり断って。彼氏が許してくれなかったっつっとけばいいべ」
「えー」
「えー、じゃねーよ。一番でかい唐揚げやるから」
 彼女は合コンの恐ろしさを知らないのだ。女に飢えた男たちの集う飲み会である。彼女持ちであろうが相手の子に彼氏がいようがそんなのお構いなし。飲んで酔わせてあわよくば。真面目に出会いたいという奴らもいるが、そういう奴らでもあわよくば精神は持ち合わせているものだ。カラッと揚げられた胡椒の効いた唐揚げを小さな口で頬張りながら、「ん、じゃあ言ってみるね」と呑気な様子の彼女をそんな恐ろしい場に出すわけにはいかない。



「――で、その彼女が心配でこんなスパイまがいなことをして、それに付き合わされるために俺はここに呼ばれたわけだ」
 高校時代のチームメイトである松川は、上京組でもあり、今でもよく会って飲んだりする仲である。
 金曜日の夜。夜の街は一層華やかに賑わいを見せる。比較的小綺麗な居酒屋のテーブル席で、金曜の夜に男二人でいるというのもなかなか寂しいものがあるが、今日はそんなことを気にしている場合ではない。絶対合コンなど行かせてなるものかと思い、彼女に言い聞かせていたのだが「やっぱり約束しちゃったし、ゴメンね。すぐ帰ってくるから」と彼女は申し訳なさそうに手を合わせた。許しません! と喚き立てでもすれば阻止できただろうか。否。変なところで真面目で律儀な性格であるが、そんなことで折れるならこれまで何度も喧嘩などしていない。「貴大は良かったのに私はダメなの? 私って信用されてないんだね」とでも言われそうだ。
 なんだか異様に喉が渇く。乾杯に頼んだ生ビールはものの数秒で空けて、ある一点から目を離せない。少し離れたところの仕切られた広めのテーブル席。そこにターゲットはいた。つまみで頼んだ枝豆を機械的に口に放り込む。
「つーか、フツーマジで行くか!?」
「いいじゃん。初めてなんだろ? 何事も経験、経験」
「言うけど、松川。お前の彼女だったらどうすんの」
「行かせるわけねーじゃん」
 当たり前だろとでも言いたげに松川は、持っていたグラスを傾けた。
 合コンは緩やかに進められ、楽しそうに談笑している彼女の姿が見えた。ちょうど憎き男共はこちらに背を向けているせいでどんな面をしているのかすらわからない。頼む。イケメンいませんように。
「はー、マジで不安。見てらんねえ」
「彼氏いるって言うんだろ?」
「いや関係ないだろ。彼氏いるって言われても可愛い子ならいくわ、俺なら」
「まあわかる」
 だから心配なんだと溜息を吐く。いつもなら浴びるように飲む上手い酒も喉につっかえたように入りが悪い。気持ちよくなるどころか、頭は冴える一方だ。
「乱入して来たら?」
「ぜってーヤダ。松川お前、他人事だと思っておもしろがってんべ」
「もちろん」
 いつの間に頼んだのか、強い酒をぐいっと煽って松川は目元を緩めた。これがドラマで俺が主演男優ならば、あの飲みの席に飛び込んで「俺の彼女に手を出すんじゃねえ!」なんて言えただろうか。そういったドラマじゃ映さないが、ああいう場合、残されたメンバーの場は白けに白け、フォローに回るのは哀れヒロインの友人なのだ。の友人にそんな思いをさせるわけにはいかない。
 飛び出しそうになる身体をなんとか抑え、ジョッキに注がれた酒を煽る。
ちゃんなら大丈夫だろ」
「どこがどう大丈夫なんですかー。30文字以内で答えてください」
「……悪酔いすんなよ。ほら、お冷」
 音を立てて目の前に置かれた水に渋い顔を向ける。それを見てやはりおかしそうに松川が笑った。
 向こうのテーブルでは、飲み放題の時間が終わろうとしていた。ぶるっと携帯が震え、メールを確認するとからだった。
『もうすぐ終わるよ。貴大もどっかで飲んでるの?』
 文末には、のお気に入りであるにこにことした絵文字がつけられている。どうやら機嫌は上々らしい。可愛らしい彼女からのメールはいつだってもらって嬉しいはずなのに、今日ばかりはもやもやと嫌なものが胸に湧く。
 さっと返事を返して、氷が溶けてすっかり薄まったハイボールを飲み干した。


「あれ、ちゃんじゃね?」
「あ! 松川くん、と貴大!」
 偶然を装って、駅前でばったりと彼女たちと鉢合わせた。
 松川の影に隠れるようにして一歩後ろを歩いていたのに、はすぐに見つけてこちらに駆け寄ってくる。合コンは無事に解散となったようで、人数も疎らだった。とその友達を駅まで送り届けてくれた紳士たちは俺たちを見ると「さっき言ってた彼氏?」と居心地が悪そうにしてそそくさと改札の奥へと消えた。
「私たちもこの近くで飲んでたんだよー。偶然だね」
「おー」
 近くも何も同じ店でばっちり監視してました、なんて言えるわけもなく、気まずさから曖昧な相槌を打つ。
「合コンしてたんだって? かっこいい奴いた?」
 ほろ酔い気分の松川が意地の悪い質問を投げる。
「んーん」
 は小さく首を振って、「でもいい経験にはなったよ」とアルコールで染まった頬を緩めた。
「良かったな」
 どちらに向けて言った言葉なのか。ぽん、と松川の手が肩を叩く。
「んじゃ、ちゃん悪いけど、こいつ今日悪酔いしてるから送ってやってくれる?」
「は?」
「早く彼女に会いたくてヤケ酒してたから」
「してねー!」
 なんとも手馴れたように、松川はの友達を促して「家どっち方面? 送ってくわ」と連れ出していった。
 駅前に残された俺とのそばを、帰路につく酔っ払いたちが騒がしく過ぎていく。
「帰るか」
「ていうか貴大そんな飲んだの? ウチの方が近いし、今日は私のとこ泊まる?」
「ん」
 全くもう酔っ払ってなどいないのだが、松川の言葉が効果的だったのか、彼女の好意に甘えることにした。
 みんなと別れた駅からの家の最寄りまで数駅。いつの間にか日付も変わっていた。
 週末の夜は、みんなが出歩くので時間の感覚が狂う。合コンが気になったのももちろんあるが、こんな遅い時間に彼女を一人で帰らせるわけにはいかないという考えもあった。開催場所は聞いていたし、結局迎えに行くのなら最初から近くにいた方が楽だと自分に言い訳を繰り返す。全ては彼女の為なのだ。
「イケメンいなかったんだ?」
 さりげなく入れた探りに彼女は気づいているのかいないのか。ほんのり赤のさす頬と前を向いた視線は変えずに、は小さく息を吐く。
「だから、いなかったって」
「でも楽しかった?」
「……そりゃあ、盛り上げてくれたし」
 何か楽しいことでも思い出したのか、フフッと笑みをこぼす。
「ふーん……」
 やっぱり面白くない。
 自分だって、付き合いだと言って合コンなんか何度も行った。もちろんと付き合ってから女の子とどうかなるなんてことはなかったが、行くからには楽しい場になるようにと盛り上げるのが男の務めだ。現に、今日来ていた男共もそうしたのだろうし、の様子からそれは成功だったのだ。複雑な心境に、俺は黙り込んだ。
「貴大みたいな人がいたらついて行っちゃったかもね」
 そんなことを言いながら、頬を持ち上げてが笑う。
「まじか。良かった俺みたいなイケメンがいなくて」
「そこまで言ってない」
 酔いのせいか、笑いの沸点が低くなっているらしい。は、いつもは笑わないような言葉に可笑しそうに言う。
「貴大だったらこういうことしそうだなーとかこういうこと言うだろうなーって考えてたら、楽しかった」
 は、また思い出したようにクスクスと笑った。
「……いや、お前合コン行ってたんじゃねーの」
「合コン行ってたけど貴大のことばっかり考えちゃった」
 そりゃあモテないよねー、とは言った。
 今日仮にのことを狙っていた男がいたとして、そいつと話している間も彼女は俺のことを考えていたし比べられていたと思うと、その男に同情を禁じえないし、ただひたすら優越感だけが残る。
 アルコールのせいかいつもよりやや緩いその笑みに、なんだか胸の奥につっかえたものがコロリと取れた気がした。
「……そりゃ、相手の男に失礼だわな」
「はは、だよね。でももう合コンは行かないよ。貴大がいるし」
「そーして」
「そーする」
 にこにこと屈託ない笑顔を浮かべる彼女を、もう二度と合コンなどというジャングルに行かせてなるものかと誓う。
「――なあ、コンビニ寄ってっていい?」
「いいよー。何買うの?」
「飲み直そ」
「えっ、貴大飲みすぎたんでしょ。何言ってんの」
「もう酔いさめた」
「……私もう眠い」
 今夜ほど上手く酔えなかった夜はないと思った。
 の手を引いて、一番近いコンビニに寄る。明るすぎる店内は、酔いの回った彼女には刺激的だったようだ。小さく欠伸を噛み殺し、お気に入りの缶チューハイをカゴに入れる。
「飲むんかい」
「せっかくイケメンに誘われたんだから、付き合ってあげなきゃなあ」
ちゃん最高」
「もっと褒めて」
 彼女の言葉に、普段は何かのご褒美としてしか買わないような高いアイスとチョコレートなどの菓子を遠慮なくカゴに放り込んでいく。
「仕方ないからイケメンが奢ってあげます」
「わーい!」
 酔いがさめたなんて言ってしまったが、彼女を前にして緩む頬はアルコールのせいだということにしておきたい。
20161004