※社会人設定
年末年始。それは年に数えるほどしかない連休を確保できるシーズンである。
大晦日の夜。実家のこたつでぬくぬくと暖を暖を取りながら、チャンネル争いに買った母がつけた大晦日恒例の歌番組をBGMにゆったりとした和やかな空気にこの上ない幸福感を感じる。年が変わることで私自身に影響することはほとんどないのだが、こうやって実家で思いきりのんびりすることが許されるのはこの時期ならではだ。休日と実家のありがたみを噛み締めていた。
時計の針が重なるまであと数十分。
夕食時のご馳走と、いつもより良いお酒で酔い潰れた我が家の男性陣がぐーすかと同じような体勢で転がっているのを母たちと笑った。
『明日集まれる人ー?』
『行ける〜』
『俺も』
『じゃあ私買い出し行く!』
『ウコンよろしく〜』
メッセージアプリが複数人いるグループの会話をピコピコと受信する。年越しを地元で過ごす友人たちで新年会をするらしく、昔からクラスのまとめ役であった男性陣が計画を進めている。そこに、適当な時間に合流するという旨を送りメッセージの一覧に戻ると、グループとは別のメッセージが入っていた。
『初詣行く?』
絵文字もスタンプも使わない彼とのトークルームは基本的にシンプルだ。
本日誕生日を迎えた大地とは誕生日のお祝いで昼間に顔を会わせたばかりだったのだが、大晦日の実家の手伝いもありあまり多くの時間を取れずにいた。高校を卒業してから大地は地元を離れて東京の大学へ進学し、そのまま東京にある企業に就職した。高校を卒業してから、数年の遠距離だ。
メッセージを目にして反射的に「行く」と返信を送った。
『じゃあ、あとで適当に迎えに行くわ』
『はーい』
『暖かくしときなさいよ』
スマートフォンを置いて、ニヤニヤを隠そうともせず湯呑みのお茶を啜る私に「大地くんでしょ」と母が言う。「あんた本当にいい男捕まえたわねぇ」としみじみと言う母に、うんうんと相づちを打った。
高校生の頃から付き合いである大地を、母も気に入ってくれていて、時々「いい男だ」と繰り返しこぼしていた。そのたびに私もそうでしょうと遠い地で働く彼を誇らしく思う。
「捨てられないようにね」
「もちろんです。むしろ逃がさない!」
「あら、お母さんの若い頃を思い出すわぁ」
アハハウフフ、と母と昔話に花を咲かせて、気づいたらテレビの中ではカウントダウンが始まっていた。
この後すぐに会うというのに、大地からの『あけましておめでとう。今年もよろしく』というメッセージに同じように返して、またニヤニヤと顔が緩んだ。
少しして、インターホンと共にガラガラと玄関が開いて、待ちわびた声が聞こえる。
「大地だ!」と子どものように飛び出していった私を、彼と新年の挨拶を交わしていた母に呆れられた。
「いつもお世話になっています」なんて当て付けがましく挨拶する母へジト目で見つめる。そんな母に「いっつも元気もらってます」と返す大地は最高に素敵な彼氏である。
いそいそともこもこの暖かいブーツを履いて、母の「気をつけてね」という声を背に家を出た。
私には通常だが、東京へ出た大地によると向こうに比べてこちらは桁違いに冷えるらしく、しきりに寒い寒いと白い息を吐いた。
人気のない田舎道を二人で並んで歩く。手を差し出せばごく自然に手が繋がれる。こんな寒地で夜に手袋をしないなんて自殺行為だと思っているが、大地と一緒に歩くのにもったいないと思って持って来なかった。そう伝えたら「暖かくしろって言っただろ」と言って、大地のマウンテンパーカーのポケットに一緒に突っ込まれた。ゴワゴワの生地のそこは決して居心地がいいとは言えなかったが、体温の高い大地のおかげで冷えた手がすぐに温まった。
そう遠くない神社までの道のりを二人で歩く。
帰省するたびに、大地はここは星が綺麗に見えるという。東京は深夜でも街が明るくて星の光が弱く、高層ビルで空が狭いのだと、私に教えてくれた。
じゃあ地元に戻ってこればいいのに。いつも大地に言いたくて、でも決して言えない言葉だった。
神社へ到着すると、私たち以外にもちらほらと参拝客が来ていた。手水舎で手を清めたらあまりの冷たさに変な声が出て大地に笑われた。参道にはところどころで焚き火が焚かれていて、手をかざして暖を取った。急な熱に冷えた手がびりびりと痛む。
深夜のためか鈴は鳴らせないように縄が上にあげられていた。賽銭をいれて、深く深くお祈りをした。気になってちらりと横に並ぶ大地を盗み見たら、ちょうど顔をあげた大地と目が合って慌てて反らした。
「ずいぶん熱心にお祈りしてたね?」
「そうだな、今年は頑張らないと」
「ふぅん」
自分に言い聞かせるように言う大地にそれ以上は聞かなかった。社務所で御神籤をひいたら、二人とも大吉だった。それを大事に財布にしまいこむ。
「帰ろうか」と言った大地に寂しさがずんとのしかかってきたが、時計はもう一時を回っていた。時間が進むにつれて、下がる気温にコートを着込んだはずの身体も冷える。行きと同じように手を繋いで家への道を歩いた。
「そういえば、斉藤結婚だって」
「え、野球部の?」
「そうそう。職場結婚だったかな。写真見せてもらったけど、綺麗なお嫁さんだった」
「へえ、羨ましいな」
何気なく溢した言葉に握られた手に力が入るのを感じて、しまったと数秒前の自身の発言力を悔いた。
二十代半ばにもなり地元に住んでいるとなると、次々と周りの同級生が結婚や出産をしていく。大地と将来の話をしないわけではないが、今までは結婚なんて漠然としたものだったし、まだまだ未来のことだと思っていた。今や現実味を帯びたその話題は遠距離恋愛をしているわたしたちには、東京で努力して仕事をしている大地にとって負担になるものと恐れていたのだ。
話題を変えようとペラペラと口は回るのに、大地の反応を見るのが怖くて視線は動かせずにいた。
「いつも悪いな」
「な、えっ? 何が?」
「のことも待たせて。俺は東京出ちゃったし、なかなか会えなくて寂しい思いしてるの知ってるよ」
「え、」
絶対に大地には悟られないように努めていたのに、自分で気づいたのか周りから聞いたのか、大地にはバレていたようだ。 大地の言った通り、遠距離になってから会えるのは年に数回だし、電話やメールもできるがやはり直接会って話したかった。今日はどんなことがあっただとか、仕事でミスをして落ち込んだとか、東京のお洒落で可愛い女の子に言い寄られていないかだとか、目の前で、触れられる距離で大地と話したかった。
「でも、大地仕事だし、東京だし」
「うん。だから、今年から仙台勤務になる」
「えっ、え!?」
「就活のとき、仙台支部があるところ選んだって言っただろ」
大地が東京で就職活動をしている時、地元に戻ってきてくれるかもしれないと勝手に期待していたせいで、東京で就職することになったと聞いた時はショックで寝込んだ。
大地はいずれ戻ってきてくれるつもりだったということを聞いて、いま、飛び上がりたいほど嬉しかった。神様はいたのだと、このとき初めて実感した。さきほどの神社へ今すぐに戻って、お礼を叫びたいくらいだった。
「ほんとに!?」
「冗談の方が良かったか?」
「まさか!」
嬉しさに、じんわりと瞳に滲んだ涙が溢れそうというとき、はらはらと宙を舞う存在に気づく。
「あ、雪」
「俺にとっては初雪だ」
「こっちでは何回目かな。結構降ったよ」
少しずつ量を増やしていく雪が、大地の濃いネイビーの上着の色を変えていく。
雪も降り、二人して鼻の頭を赤くしてとても寒いはずなのに、大地からの重大ニュースのおかげで興奮した身体はぽかぽかと温かかった。
「今年はいろいろと変わることがあるからな。仕事でも、のことも」
「? 私のこと?」
「うん」
なんだなんだと頭を働かせる。仕事は何かあるとは聞いていないし、年始の休みが終われば独り暮らしの家に戻るだけで、特に変わることはなかったはずだ。
真面目に考え込む私を見て、ぶはっと吹き出した大地に目を細める。
「悪い悪い。の家、更新いつ?」
「えーと、三月だよ。入職したときに借りたし」
「じゃあ、ちょうど良かった。一緒に住もうか」
再び告げられた、大地からの衝撃的な言葉に思わず足を止めた。手を繋いでいるから、必然的に大地の足も止まる。
心配そうに眉を下げて私の顔を覗き込んだ大地に「ニヤニヤしてるだけか」と頭にチョップを落とされた。そのまま、砂糖を振りかけられたように積もった雪を払われる。
「だって、嬉しくて」
「嫌なのかと思った」
「そんなわけない!嬉しくてここでダンスしたいくらい!」
「ここではしないの。近所迷惑になるでしょうが」
住宅の多くない田んぼ道なのだが、それでも騒いだらきっと響いてしまうだろう。頭に置かれた手をそのままぐりぐりと撫で付けられる。ああもう、一年の始めから神様に与えられたものが多すぎて、逆に心配になる。
「いつ言おうかずっと考えてたから、やっと言えてほっとしてる」
「もっと早く教えてほしかったよ」
見上げると、大地の頭の上にも同じように雪が積もっていて、それを払おうと手を伸ばして背伸びをする。ぱぱっと雪を払って、そのまま大地に両腕を回す。雪と寒気のせいで冷えたマウンテンパーカーが素肌に触れて痛いが、そんなことは気にせずにぎゅうと顔を押し付けた。
「大地のこと好きすぎて苦しい」
「長いこと苦しませて悪かったね」
「これからもでしょ」
「これからは……じゃないか、これからも! 幸せにする」
大地の含みのある言い方に、ほんの少しだけ期待して「どうやって?」と彼を見上げる。
「いま聞きたい?」
「……だ、だいち!」
「ちゃんと言うから、楽しみにしててくださいな」
「私も大地のこと幸せにする自信あるよ!」
「うん、そうだな」
知ってるよと言って額にキスをしてくれた大地は本当に本当に格好いい最高の彼氏だ。
「あーもう! 絶対離さないから!」
「はは、が言うのか」
「それは俺も負けらんないな」と笑う大地と少しだけ速足で家へと続く道へ向かった。
こんな幸せな正月を迎えた今年は最高の一年になる予感しかしない。
20160101
大地さんお誕生日おめでとうございました!