夏のような日差しが照りつく晴れだったり、どんよりと重い雲が雨を振らせていたり、ここ最近は梅雨と夏の境目みたいなジメジメした天気がしばらく続いている。すっかり日が長くなったためかこんな時間でも昼間のように明るくて感覚が狂いそうになる。バレー部の練習が終わる頃に教室を出ると、ようやく涼しいと感じる風が吹いていた。
人気の少ない廊下を駆けて、体育館へ向かう。
体育館へ着いてみると、まだ部活は終わっていないようで、ワックスで磨かれた床がキュッキュと高い音を鳴らす。邪魔にならないように、コンクリートの段に座りスマートフォンを弄る。最近ハマっているパズルゲームを起動する。今のうちに貯まったハートを消費しようと必死になっていると、目の前に影が差す。ふと顔を上げると、タオルを肩にかけて黒いTシャツ姿の宮くんがいた。
「お疲れ様。終わったん?」
「終わった。着替えてくるからちょお待っとってや」
「はーい」
宮くんに続いて、もう一人の宮くん――侑くんが通りがかる。私がお疲れ、と声をかけると彼は「ゲーム?」と首を傾げた。そやで、とスマホの画面を侑くんに見せると、彼は目を細めて納得したように頷いた。
「あー、治が始めるいうて秒で飽きとったやつや」
「飽きるの早すぎやんな」
「俺もようやらんわ」
「えー、なんでなん。こんな可愛いし面白いやんか」
デフォルメされたキャラクターたちをくるくる動かしていくそれは、見た目も楽しいしスコア伸ばしに意地になって、ついついやりこんでしまう。暇さえあれば開いてプレイしているのだが、ハートが尽きればそれもできない。プレイ仲間を増やしてハートの送り合いができれば、少しは解決するのではと思って勧めてみたが、彼らにはどうやら合わないみたいだった。
「よおわからんわ」そう言って、侑くんは片手をひらひらさせて部室棟の方へ歩いていった。その背にバイバイと声をかけると、入れ違いに制服に着替えた宮くんが戻ってくる。
「早ない?」
「が待っとるやん。急いで着替えたわ」
にかっと爽やかな笑みを浮かべて、こういうことを平気で言ってくるからたまらない。途中だったゲーム画面を閉じて、彼の隣に並ぶ。額に汗を滲ませた宮くんから、ふわりと制汗剤の匂いがした。
「帰ろか」
そう言ってどちらからともなく伸ばされた手が握られる。
夏が近づくたび、日が長くなった夕方に手を繋ぐのは人目もあるし汗もかくし、ほんの少しだけ照れくさい。以前、私がそれを伝えたことがあったのだが、宮くんは「そんなん気にせんでええやんか」と、隠した私の手を取った。そんな宮くんの手もじんわりと湿っぽくて「お揃いやろ」と笑ったのが忘れられない。
すれ違う他の部活の同級生が「ラブラブやなあ〜」と茶化すので、私はこっそり背の高い宮くんの後ろに隠れる。そうやってからかわれるのには、まだ慣れない。しかし、宮くんはそれを平気な顔で肯定するものだから、それが私を安心させたりもした。嬉しいのと恥ずかしいのと複雑な気持ちが織り混ざって、自分たち二人を差すその言葉にじわじわと顔を赤くする。
「暑いなあ?」と、同意を得るように宮くんが私に向けた意図はふた通りある。まったく意地が悪い。バタバタと顔の前で手を扇ぐ私に「いつまでも慣れへんなあ」と笑い零した。
こんなん慣れるわけないやん。
だって、宮くんはかっこいい。同じ顔の侑くんに人気がある通り、もう一人の宮くんも人気を集めるのは必然だった。そんなかっこいい宮くんと、自分が手を繋いで並んで歩いて帰っているだなんて信じられない。
付き合い始めた頃、なぜか侑くんが「なんであの子なん?」と問い詰められたことがあったらしいが、なぜ宮くんが私を選んだのか、そのあたりは未だに謎である。
宮くんと出会いのきっかけは侑くんである。侑くんとは前のクラスが一緒で、たまに教科書や課題をうっかり忘れてしまう私の救世主だった。毎回嫌味たらしいセリフとともに見せてくれていたおかげで、私は何回彼に購買のジュースを奢ったことか。ともあれ、そうやって侑くんと仲良くなって、双子の片割れである宮くんとも顔見知りになったのだ。
懐かしいな、と一人で思い起こしていると、宮くんが私の名前を呼んだ。
「」
「ん?」
「はいつになったら俺んこと名前で呼んでくれるん?」
「えっ」
宮くんは不服そうな顔をして、こっちを見下ろした。
「な、名前?」
「侑は『侑くん』なのに、何で俺は『宮くん』なん」
「侑くんはクラス一緒やったし……」
「それや! 侑が『侑くん』なら、俺やって『治くん』やろ!」
「おかしいやろ」と宮くんは不満を露わにした。
そっくりな双子の兄弟を区別するのは難しいと、“宮兄弟”と一括りに呼ぶことが多い。“宮”、“宮くん”と呼んでおけば、どっちがどっちだという間違いもない。しかし、彼は片割れは名前で、自分は苗字なことが納得できないという。初めましての時から“宮くん”呼びだったため、すっかりそれが定着してしまっていた。
彼氏である“宮くん”の方が苗字呼びだというのは、たしかに違和感がある。彼のいうことにも一理ある、と納得して、私は素直に頷いた。
「わかった。じゃあ、今度からそうする」
「今度っていつなん?」
「つ、次から」
「今呼んでや」
リーチの長い一歩で距離を詰めた宮くん――今度から治くんと呼ばなければ――がぐっと顔を近づける。
「恥ずかしいやんか……」と口籠ると、彼は気に入らないというように目を細めた。
「彼氏の名前呼ぶいうだけやのに、恥ずかしいとはなんじゃ」
「だって」
「だってもクソもないやろ」
「うっ……!」
「ほら、言うてみ」
ほれほれ、と彼は手を繋いでいる方とは逆の手で私の頬をつまんで先を促した。多少は手加減されたそれに、いたい!と抵抗してみるも彼は可笑しそうに口角を上げるだけだった。
「……お、おさむくん」
「治でもええけど」
「治くんでお願いします……」
そういうと、治くんは満足げに頬をつまんでいた手を離す。慣れない“治くん”呼びに一人で繰り返し呼び慣らしていると、治くんの影が被さった。
屈んだ治くんの顔がすぐそばにある。軽く触れた柔らかなそれに気づいて、私の顔は一瞬で火がついたように熱を持った。
「な、何するん!?」
「何て、ちゅーやんか」
「な、なん……! こんなとこでせえへんでもええやんか!」
「かいらしいなあ思て、つい」
「ついやない!」
カッカと照る顔を押さえながら治くんに反論しても、彼は可笑しそうにけたけたと笑うばかりだ。視界の端に、同じ制服を着た人影が見える。見られてたらどうするんだ。ああ、もう、顔が熱い。
もう知らないとばかりに、繋いでいた手を振り解こうとするが、笑顔の治くんからそれが離れることはなかった。
「そんな怒らんでもええやん」
「……知らんもん」
顔を背けて早歩きをしても、圧倒的リーチの差で結局は同じ速度になる。そもそも、手を繋がれているから、彼より先を行くことなんてどう頑張っても無理なことだった。
「かいらしい彼女にちゅーしたいと思ったらアカンの?」
「……アカンくないけど」
「なんなん」
覗き込むように背を屈めた治くんとの距離が近くて、よりいっそう頬が照る。
「ふ、二人の時にして」
手を繋ぐこともようやっと慣れつつあるというのに、公共の場でちゅーなんてされたらたまらない。自分がそのうち爆発してしまいそうで、恥ずかしくて、治くんの顔を見れないままに呟いた。
「……ほーん」
「何、わかっとるん?」
治くんの間に、怪訝な顔を向ける。
「よおわかった」
治くんはにかっといい笑顔を浮かべると、私の手を握ったまますたすたと歩き出す。わけがわからず、私は治くんよりもずっと短い足を必死に動かして彼についていく。
「宮くん?」
「治やろ」
「治くん……、どうしたん?」
いつものように苗字で呼んでしまってすぐさま直される。
少し前を歩く治くんを見上げると、相変わらず彼はにこにこ、と笑顔を浮かべていた。
爽やかさの中に、何か違和感を感じる。もしかしたら、これは何か良からぬことを考えている時のアレかもしれない。
「早よ帰るで。ほんで、二人でいちゃいちゃしよか」
「は!?」
「ああ、侑にしばらく帰ってこんように言うとこ」
「なっ、何言うとん!」
治くんの言葉に、動揺した私は思わず噴き出してしまった。器用に片手でスマホを操作している治くんは、侑くんにメッセージでも送っているのだろう。
少しずつ陽が沈んで、ピンクと青の混ざったような夕焼けの中、「楽しみやなあ」と笑顔のままの治くんに引かれて歩く私の顔は空の色みたいに染まっていた。握った手に熱がこもった。べたべたにかいた汗に気づいた治くんに、また笑われる。
「早よ慣れや」
こんなん慣れるわけないやん!
20180711