太陽が味方
 八月ももう終わったというのに、夏の暑さはまだ残ったままだった。体育館の外では人生の幕を下ろそうとしている蝉たちが大合唱をしている。それがまた蒸すような暑さを強調した。ただ立っているだけなのに、じわりと背中に汗が滲む。時々お天気の神様の気まぐれで吹かす風が、それを冷やして心地が良い。
 教室で久しぶりに顔を合わせたクラスメイトたちと出会って早々に「何かあった?」という探り合うような会話が始まったが、残念ながら宮城の田舎には白馬に乗った王子様なんて登場しなかった。
 夏休みに入る前、受験生は夏休みが勝負だなんて耳にたこができるくら言い聞かせられたが、休みに入ってしまえばそんなことはすっかり忘れて家族と友達と遊んで過ごした。例年通り、提出物も昨日ギリギリになんとか終わらせた始末だ。
 始業式での校長の退屈な話を聞きながら、あくびを噛み殺して視線を下に向ける。
 ふと、隣に立つクラスメイトと並んだ自分の腕を見比べてとあることに気づいた。
「ねえ、」
 仮にも全校集会の場である。自分の思う一番小さな声量で話しかけて見るが、隣の岩泉には全く届かないようだった。
「ねえ、岩泉」
 先程よりも少し声量を上げると、やっと自分が声をかけられていることに気づいたようで岩泉は視線だけをこちらに向けた。
「岩泉の方が白くない?」
「なんだ、突然」
「ほら、見てよ」
 眉をひそめた岩泉に構わず、腕を挙げて見せる。やっぱり、ほんの微かな違いではあるけど、ほとんど肌の色は変わらないくらいに焼けてしまっていた。
 岩泉はなにも言わずに、同じように腕を挙げた。
「男子より黒いとかショックなんだけど……」
のが白いだろ」
「変わんないじゃん」
「じゃあ良くね?」
「良くない」
 夏休みに入る前と比べたらきっと一目瞭然だろう。
 塗りたくった日焼け止めも意味はなく、どちらかというと色白だったはずの肌はよく焦げた褐色の肌に変わっていた。『絶対焼かせない SPF50』なんていう謳い文句に釣られて買った少し高めの日焼け止めも真夏の紫外線を前には通用しなかったようだ。
 ケアを怠ったわけではないのに、日焼け止めどころかお肌のケアなんて無関心なはずの岩泉と同じくらいになってしまったというのが少なからずショックだった。
 二人の腕を見比べていると「俺らは室内だしな」と呟いた岩泉に、そういえば彼らはバレー部だったと思い出す。それなら、男子にしてはあんまり焼けないはずだ。
「ああ、また試合あるんだもんね」
「おう」
 運動部はほとんど夏休みも部活だと聞いていたので、岩泉たちもきっとそうなのだろう。補講のために夏休みの最初の週に登校しただけで、あとは遊びまくっていた私とは違う。
「青春だねぇ」
「なんだそれ」
 岩泉の背中を叩いて感心していると、生徒たちの隙間から見えた担任と目が合った気がして口を閉じた。
 ひそひそ話をしているのは私たちだけではないが、こういうのは見つかったもの負けだ。校長の言葉が受験生の諸君、と続いたところでピシッと大袈裟に背筋を伸ばしてみせる。
「……部活以外なんかなかったの?」
「あ? あー……ないな」
「えぇー」
 「部活と課題して終わった」視線は壇上の校長に向けたまま、岩泉は言った。正確な時間を見ていたわけではないけど、校長の話はもうかれこれ十五分は続いている。誰か止めてくれ。
は、ないわな」
「何で断言したの? あるかもしれないじゃん」
「期待してねえわ」
「あったらどうすんの」
「…よかったな?」
「くっ…!」
 そうですね。たった40日間の夏休みで彼氏なんてできるわけがありませんよね!
 面倒くさそうに答えた岩泉に、そう言って舌を出した。
「……文化祭で作るし」
「なんか聞いたことあるわ、マジックとかいうやつ」
「見てろ。文化祭と体育祭終わったら彼氏できてるから」
 悔し紛れの私の言葉に岩泉はフンと鼻で笑った。
 あと一ヶ月もすれば文化祭だ。これから文化祭に向けての準備期間が始まって、それが終われば本格的に受験生だ。その前になんとか彼氏彼女を作ろうと躍起になる者もいるし、文化祭や体育祭で同じ作業をしているうちにお互い恋に落ちて、なんていうこともある。このタイミングでくっつくカップルが多いので、文化祭マジックなんて呼ばれている。
「おう、めっちゃ楽しみにしてるわ」
「棒読み!」
 ぎゃんぎゃんと騒ぎすぎて「コラそこ静かにしろー」と学年主任の先生に怒られた。
 慌てて壇上に向き直る間も、先生と周りの生徒からの視線が向けられているのを感じる。岩泉もバツの悪そうな顔をして、私たちはそれ以上口を開かなかった。
 校長がやっと壇上から降りたと思ったら、今度は教頭からの挨拶が始まる。「校長先生がほとんど話してくれたので、私からは一言」咳払いをして話を始めた教頭に、大人の一言は一言じゃないと確信した。



 夏休みが明けて、二学期の一日目は半日で終わる。午後からは部活があったり、なければお昼前には帰宅となる。
、ごはんどうする?」
「駅前で食べてこ」
 友達と帰り道でのランチの相談をしながら、校門までの道を歩く。駅前と言ってもそんなにお店が多いわけではないので、行く場所は限られているのだけど。
 早く下校できるのは嬉しいことだが、午後の一番強い日差しの中帰らなければならないのは苦行だ。少しでも日陰の多いところを選んで先に進む。
 第3体育館の前に来ると体育館の重い扉が開かれていて、中ではコートで練習するバレー部員たちが見えた。
 部活の邪魔にならないように、扉の端から中を覗き込む。
 体育館の端で弁当を広げている生徒もいるから、まだ部活は始まってないのかもしれない。コート内の部員たちはお遊び程度にぽんぽんとラリーを続けていた。
「岩泉いるじゃん」
「あ、ホントだ」
 コートの向こう側にいた岩泉がTシャツの袖口で額の汗を拭う。ぼーっと、そんな岩泉から目を離せないでいると、顔を上げた岩泉と視線が合った。誤魔化すようにひらひらと手を振ってみると、それを見て岩泉も手を挙げて応えてくれる。
 きっと、彼にとっては些細な行動だっただろう。へにゃり、と緩みそうになる口元を必死に抑えていると、隣にいる友達の視線を痛いほどに感じた。
「……、もしかして、」
「えっ、いやいやいや!」
 伺うような視線を向けた友達に、顔の前で手を振って否定する。「まだ何も言ってないけど」と呆れる友達には、逆効果だったらしい。
「岩泉かあ〜」
「何が!? 違うし!」
「え、違うの? 岩泉いいんじゃん?」
「だから何が!?」
 「わかるわかる。かっこいいもんね」と人の話をまるで聞かずに彼女は続ける。
「久しぶりに会うとかっこよく見えるよね〜」
「……だから、違うってば」
「さっきも仲良さそうに二人で怒られてたしね」
「い、岩泉はただのクラスメイトだし、あれはただしゃべってただけで…!」
「クラスメイトを見る目ではないよね〜」
「普通に見てるだけだって!」
「ふぅ〜ん」
 わざとらしく相槌を打つ彼女に、ボッと頬が火照るのを感じる。その熱を冷まそうと手で扇いでいると、他の部員に声をかけて岩泉がこちらに向かってくる。
 「えっ、こっち来るんだけど」「ただのクラスメイトなんでしょ」「そ、そうだけど!」「はいがんばって〜」
 ひらひらと手を振って「先に行ってるわ」と言った彼女はなんて薄情者だろう。
 自分でもまだ確信できていない宙ぶらりんのこの気持ちを置いて、岩泉を前になんてできない。できない、と思っているのに、そいつはそんな私の心情などお構いなしにやってくる。
「なした?」
「……別に。帰るとこ」
「なんか用あんのかと思ったわ」
「見てただけ! 部活がんばって!」
「おう、も気をつけてな」
 帰り際、普段と同じ台詞のはずなのに、岩泉の口から出たそれをいつものように軽く受けとめることができなかった。
 だって、汗水流して仲間とボールを追いかける姿はどうしたってかっこいいし、その汗が滲んで色を変えるTシャツも色気しか感じられない。スパイクが決まってチームメイトと笑い合う姿も、その時さりげなく見えたガッツポーズも、その全てから目が離せないのだから、気づかないうちになんとかマジックというやつにかかってしまっていたのかもしれない。
 そんな似合わない淡い色をした空気を振り払うように、ぶんぶんと頭を振って体育館から逃げるように飛び出した。
 少し離れたところでスマートフォンをいじっていた友達を見つけて駆け寄る。
顔赤いけど」
「……焼けたの!」
「へぇ〜」
 にやにやと笑いかける彼女にもう何も言うなと念押しした。
 遮られるものがなくて直接肌をじりじりと照りつける太陽も、うるさくて仕方がないと思っていた蝉の大合唱も、まだ終わりそうにないことに安心する。
 夏が終わる前に、大変な感情を抱いてしまったことに気づいてしまった。緊張と期待でごちゃごちゃになった熱をもて余して、ひとつ、ため息を溢した。

20160401
青城企画「青春の瞬き」様へ寄稿