「おそろいにしちゃった」
ここが集合住宅なのも忘れてつい大声を出してしまったのは、先程赤葦くんから重大な事実を聞かされたからである。
「……誕生日?」
「はい」
「赤葦くんの?」
「はい」
「な、何で教えてくれなかったの!?」
十二月五日。つまり明日。赤葦くんの誕生日だということをつい先ほど彼自身の口から聞いた。「今教えたじゃないですか」とネクタイを結びながらしれっと答える彼は自身のことなのにまるで微塵も興味がないような反応である。
「誕生日のお祝いしたいの!」
「気持ちだけでありがたいです」
「ダメ!」
面倒くさそうな面持ちを隠そうともせず答える赤葦くんにすぐさま反論する。しかし、明日となると準備する時間が今日しかない。仕事をしていない身であるため時間は十分あるのだが、問題は何をしたら赤葦くんが喜んでくれるのか、である。
「……なにかほしいものある?」
「いりません」
すっぱりと返された言葉に項垂れる。無職であり居候の身で物をプレゼントするのは私自身気が引ける。一応赤葦くんに確認してみたが、彼も同じ考えだろう。
そうだ、いつもは手を抜いてしまっているが手作りのケーキと料理なんかはどうだろう。普段から家事は私の役目であるが、いかんせん怠惰的な性格であるため赤葦くんが良しとする成果を出せたことがない。それを提案すれば「今日明日と飲み会があるので」と断られた。元々飲み会が多い職場であることは知っていたし、それが社員の誕生日であると知ればその付近で開催されることは当然だ。
ケーキや豪華な食事は後日改めるとして、私が赤葦くんにお祝いしてあげられることはなんだろうと考える。そんな思案顔の私を見て、赤葦くんは小さく息をつく。
「あの、さん。ほんとに気持ちだけで嬉しいですから」
「でも、」
「余計な面倒かけないでください」
「えっ、そっち?」
あんまりである。くぅ、と唇を噛んだ私をよそに赤葦くんはすたすたと玄関へ向かう。あとを追うように赤葦くんの後ろを歩く。仕事をしていない身であれば朝早く起きる必要なんてないのだが、さすがに居候の身で家主が出かける時にぐうすか寝ていられないと思い、毎朝赤葦くんが仕事に出るのを見送ることから私の一日は始まる。
リビングを出れば、朝の冷え込んだ空気が肌をちくちくと刺激する。思わず寒いと呟けば、眉をひそめた赤葦くんから「そんな格好してるからです」とぴしゃりと忠言を受けた。部屋のなかは暖かいから油断しているが、これから冬に向けて気温が下がることを思うともう少し防寒できる部屋着を用意した方がいいのかもしれない。ちなみに赤葦くんの部屋着はジャージだ。
玄関先に飾られた小さな卓上カレンダーに視線を向けると、今日は十二月四日。金曜日、週末である。赤葦くんによると今日の飲み会は部署内で行われるもので、そんなに遅くはならないとのことだった。せめて、一緒に暮らしているのだから一番にお祝いさせてほしいと赤葦くんにお願いすれば「早めに帰るようにします」と言ってくれた。
「いってきます」とドアを開ける赤葦くんにいってらっしゃいと手を振る。以前、まるで新婚さんみたいと赤葦くんに伝えたところ「くだらないこと言ってないで仕事探してください」と痛烈な返事をもらい、それ以降口にしてはいないが密かに新婚さんごっこを一人で楽しんでいた。
「――よし!」
自分しかいない部屋で響いたそれを合図に準備にとりかかった。
*
終業後、会社からそう遠くない駅の近くで宴会は行われた。電車を気にして遠方の社員がちらほらと抜けていくタイミングで帰宅することに成功した。どこからか明日は自分の誕生日だと言うことは漏れていて、一日早いが誕生日祝いだと飲まされた。さすがに潰れるわけにはいかないと、ある程度のところでセーブをしてなんとか逃げ果すことができた。
ちょうど十一時を回った頃に最寄り駅に到着した。駅からは歩いて数分に自宅はある。別に誕生日に浮かれるような年ではないが、 本来ならば自分一人の家に帰るはずなのに出社前の「待ってるね」彼女の言葉を思い出して、無意識的に足早になるのは仕方ないだろう。到底自分よりも年上だとは思えない彼女の気の抜けた笑顔は、不思議と毒気を抜かれるのだ。
高校生の頃は二十代と言えば、歴とした大人で仕事ができてお金も稼いでもっと精神的にも落ち着いているのかと思っていた。実際自分がその年になってみると、はて何か変わったかと言えば何も変わっていない。自分の思い描いていた二十代とはまるで別物だったな、と夜道を歩きながら一人ごちる。家に待つ彼女のことを考えて少しばかり浮き足たつ自分に結局こどもみたいだなと考えるのだった。
マンション内の自宅のドアの前につくと、インターホンを押そうとして指を止める。この時間だ、もしかしたら彼女はもう寝ているかもしれない。いつもなら押しているインターホンを今回は押さずにバッグから鍵を取り出して回す。がちゃりとドアを開けたはずのそこは閉まっていて、中にいるであろう彼女の無防備さに舌を打った。もう一度、鍵を回してドアを開けると、今朝はなかった小さなクリスマスツリーが玄関に飾られていた。彼女が飾り付けを施したのであろうそれにはプラスチックでできた色とりどりのオーナメントがゆらゆらと揺れている。その中で、先日彼女が通りすがりに必死で回していたガチャポンの景品である美少女戦士とやらのキーホルダーもいくつか吊り下げられていた。
「さん?」
リビングの扉を開ければ、テーブル上のスタンドライトが薄暗い部屋をほんのりと照らす。灯りをはつけずに部屋を見渡しても彼女の姿はない。もう眠ってしまったのだろうかと寝室のドアを開ければ見慣れない部屋着に身を包んださんがベッドに眠っていることを姿が目に入る。
できるだけ物音を立てないように近づく。自分が帰ってくるまでぎりぎりまで耐えていたであろう、枕元には開いたままの文庫本とベッドサイドのテーブルには飲みかけのココアが残っていた。
ベッドの端に腰をかけ、シーツに広がったさらさらと細い髪を掬う。 起こすつもりはなく、静かに彼女の名前を呟けばちょうど返事をするかのように息を吐いた。自分よりも年上であるのに化粧をしなければあどけなさの残った寝顔を惜しみなく晒していた。
彼氏でもなければ友達というには交流期間の短い自分の家によくも無防備に転がり込めたものだと、当時を思い出して苦笑を漏らす。自分もよく承諾したものだ。「赤葦頼む!」などと言って頭を下げた木兎さんの大して大きな問題とも考えていないような軽いノリは高校時代と全く変わっていない。はじめは断固拒否していたその頼みだったが、木兎さんの諦めの悪さと初めて彼女に会ったときに、気づいたら了承の言葉が口をついて出ていた。面倒を押し付けられたと最初はそう思っていたが、その面倒な彼女の世話焼きやくだらないやり取りも今では自分自身楽しんでいる節があることは認めるには少し気恥ずかしい。
今自分の寝顔をまじまじと見られているとは微塵も思っていないだろう彼女はすっかり夢の中である。悪戯に鼻をつまんでやるが眉を寄せて唸るだけで、ぱっと離せばすぐにまた元の夢の世界へと戻っていく。まったくのんきな人だと思う。人のことは言えないが、自分ほどに寝起きが悪い彼女はちょっとやそっとじゃ目を覚まさないだろう。ベッドに下ろした腰を浮かして彼女に近づく。傍から見れば、まるで寝込みを襲う図だがあいにくここは俺の家で他に誰も見ている者はいない。
上に向けられた手のひらに、自身の手を這わす。自分よりも一回りも二回りも小さいそれに嫌でも男女の違いを意識させられる。触れた瞬間、眉を寄せた彼女に起こしたかと懸念するがまたすぐに夢の中に落ちたようだった。重ねた手のひらをそのまま包むようにして握ると反射的にかさんの手にも力が入りお互いに手を繋いでいるような状態になる。
意識のない彼女を前にして寝込みを襲うなど、一緒に住み始めて一度たって考えたことがないはずなのに誕生日を盾にして悠然とそんな狡猾な行為をしている自分が滑稽であり、苦笑が漏れた。
惜しげもなく晒しだされた白く柔らかな首筋に後れ毛が放射を描くように広がっている。そっとその髪に触れてそこを露わにする。とっくの昔に成人しているというのに、触れて力を入れてしまえば折れてしまいそうな首筋にひとつ、唇を落とした。
*
はっと目を覚ませば、時刻は日を跨いで一時間近くも経っていた。
クリスマスの装飾もそこそこに、あとは赤葦くんが帰るのを待つだけの状態にしてベッドで読書でもして待とうと考えたのがいけなかった。久しぶりの活字に睡眠効果でもあったのか、気づいたときにはすっかり夢の中だった。
部屋を見渡すと、リビングから洩れる光を見つけて急いでそこへ向かう。お風呂上がりなのか完全に乾ききっていない髪とタオルをかぶった赤葦くんの姿がある。
「赤葦くん、おかえり」
「ただいま、さん」
ソファーに腰かける赤葦くんの手には入れたばかりなのか湯気の立つカップを手にしていて、コーヒーの香りが起き抜けの鼻をくすぐる。彼の隣に腰かけて、正直にうっかり寝落ちてしまったことを謝れば彼は気にしていない様子を見せる。赤葦くんはそのまま立ち上がりキッチンに入ると「眠れなくなるからさんはココアで」と新しいカップを運んできてくれた。起きてくることを見越して準備をしてくれていたのだろうか、毎度感心するが本当に気が利く。まったくこれではどちらが年上なのかわからない。カップを受けとり、陶器から伝わる熱で手を温めていると、彼に伝えなければいけないことを思い出した。
「あ、赤葦くん!」
「はい?」
「誕生日おめでとう!」
「そうでしたね、ありがとうございます」
「く、クール」
相変わらずの平静さに感心すると弁解のように「嬉しいです」と付け加えてくれた。そういえば、と言葉を発する前に赤葦くんの言葉で遮られる。
「プレゼント、いらないって言いましたけどもうひとつもらってもいいですか」
「うん、もちろんだよ。何がいい?」
神妙な顔つきで「もうひとつ」と言った彼の言葉に秘密裏に用意したプレゼントがバレてしまったかとひやりとしたが、一旦テーブルにココアを置いて赤葦くんに向き直る。彼も同じように手にしていたコーヒーカップをテーブルに置いた。普段自分の欲は一切見せない赤葦くんの欲しいものだ、しっかりと聞かなきゃと耳を寄せた。
すると、突然頬に添えられた手に肩がビクッと跳ねる。赤葦くんを制止する前に耳に触れる柔らかい感覚に声が詰まる。身体が固まっているその瞬間に挟むように耳を甘噛みされる。振り切るように顔を上げると、悪戯っ子のように舌を出す赤葦くんがいた。
「かっ、からかったの!?」
「さあ」
「と、年上をからかうもんじゃありません!」
「さんは年上に見えません」
ひどい、とぼそぼそと呟くように文句をこぼすがわたしの顔はまさにゆでだこという表現がぴったりだろう。今お風呂から上がったばかりかのように身体が火照る。両手でぱたぱたと顔を扇ぐ私を、悔しいことに赤葦くんは口角を上げて見ていた。
耳まで染まった赤い顔をごまかすように「早く髪乾かしてきて!」と背中を押して脱衣所に押し込んだ。
*
戻ってきた赤葦くんを見るなり「あ!」と突然声をあげた私に不思議そうな視線を向けられた。それはそのままに部屋の一角に置いておいたプレゼントの包みを手渡した。一瞬目を丸くした赤葦くんであるが、すぐに「また無駄遣いして」と怪訝な視線を向けられた。そんな彼を宥めるように中身を確認するように促す。しぶしぶと受け取ってくれた彼が取り出したのは高価すぎず安っぽくもみられない程度の某ブランドのルームウェアだった。今朝赤葦くんに部屋着が薄着すぎると指摘された私は自分の部屋着を購入するために街にでかけたのだが、クリスマス特集でメンズものも豊富に取り揃えられており、パジャマも部屋着も一貫してジャージの赤葦くんのプレゼントにもぴったりだと踏んだのだった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「おそろいにしちゃった」
「……俺はなんでもいいですけど」
こっそりと様子を伺う限り、嫌がっている様子は見られないため胸の内でほっとした。男性に贈り物をするなんて久しぶりのことだ。ましてや年下だなんて、親戚の子どもたちにはもちろん送ったことはあるがどれも玩具やお菓子ばかりで参考にはできない。誕生日に乗っかって自分のものも購入してしまったが、生活必需品として許してもらいたい。
じいと手の中のものを見つめたあと赤葦くんは静かに「明日から使います」と口を開いた。どうぞ使ってくださいと答えながら、嬉しくて口が笑うのを止められない。
ココアとコーヒーの甘く苦い香りも手伝って、ほのぼのとした雰囲気がわたしたちを包んだ。
20151213