二人のホームズ

 英国の誇るシャーロック・ホームズの物語では、名探偵ホームズとワトソン博士は言わずと知れた名コンビである。
 この現代において探偵といえば、若き東の名探偵工藤新一が最も有名な人物ではないだろうか。高校生の頃から数々の難事件を解決していく。それだけ事件が多いという現実には気が滅入るが、新聞やニュースで彼の名前や顔を見ない日はなかった。
 そんな彼、新一くんは赤井さんのお気に入りでもあった。いつしか聞いた思い出話によれば、過去新一少年と邂逅した若き日の赤井さんは、名探偵の助手という称号を得たらしい。ホームズとワトソンといえば、相棒であり親友でもある。事件でもあれば二人ですらすらと推理をする様は、まるであのホームズとワトソン博士の姿を彷彿とさせるようではないか。お互いに、年の差があってもどうも波長が合うらしい。
 赤井さんは、時折新一くんと二人にしかわからないような難しい話をして楽しそうに笑っていたりする。それが羨ましくて、どうにかして私もそんな風に赤井さんと彼の興味を引くような話をしてみたいのに、いつだって赤井さんは私の話をどう言うでもなく静かに聞くばかりだった。わからないことあるときには聞けば私でもわかるように教えてくれたり、たまに可笑しそうに私のくだらない話にも笑ってくれたりするのだけど、やっぱりどこか新一くんの時とは違う。
 赤井さんの好きなことといえば、射撃のことは専門外だしプロである赤井さんの話についていけるとは思えない。お酒のことも教えてもらうばっかりだ。赤井さんは飲む銘柄も決まっているので、私の飲むような安っぽいものには興味はないだろう。他には――。
 考えてもすぐには思い浮かばなくて、なんだか寂しい気持ちになった。
 赤井さんのことは新一くんの方がよく知っているのでは……と嫉妬心に駆られるような事実に気づいた私は、その秘訣を探るべく若き平成のシャーロック・ホームズに会いに行くことにした。
「――で、ここに来たと?」
「はい!」
「いや、そんな期待に満ちた目を向けられても……」
 呆れたようにこぼす新一くんは、最近は大きな事件もなく探偵業の方は落ち着いているらしい。学生もしながら警察にも協力して、本当に素晴らしいと思う。私が学生の頃なんて追試にならないように、単位を落とさないようにと必死だった記憶しかない。その時点で、頭の造りが大元から違うのだということは気づかないふりをしておく。
 向かい合ってソファーに座った新一くんは、顎に手を当てて考えるような素振りを見せると、すぐさま思いついたように顔を上げた。
「別に、さん相手なら赤井さんも楽しく会話してるでしょう?」
「私は楽しいけど、赤井さんは楽しくないかも」
「そうは思わないですけどね」
 小首を傾げて、新一くんは手にしたコーヒーを啜る。
「赤井さんといつも何話してるの?」
「……事件の話とか、まあ、他愛もない話が多いですよ」
「それを聞きたいのに!」
「血生臭い事件の話なんてしたいんですか?」
「……それはヤダ」
 ボソリと呟いた私に、新一くんは小さく息を漏らす。
「そもそも、赤井さんのことならオレよりもさんの方がよく知ってるんじゃないですか?」
「そうかな?」
「自分が知らないと思ってるだけで、案外知ってるもんですよ。それに、自分のことは直接聞かれた方が嬉しいと思いますけどね」
「えー、赤井さんに直接?」
「赤井さんなら喜んで教えてくれると思いますけど」
「……恥ずかしいじゃん」
「なんで恥ずかしがる必要があんだよ……。とにかく、さんはそのままでいいんですよ」
 なんとなく投げやりにも聞こえるような新一くんの言葉に半信半疑頷いてみたけれど、やっぱりよくわからない。
 恋人として過ごしてきた時間もそう長くなく、そばにいたとしても赤井さんはあまり自分のことを語らない。知らないことの方が圧倒的に多いと思う。
 少しだけ冷めてちょうどいい温度になったコーヒーを飲み込むと、ほろ苦い味が口内にじわりと広がった。

 *

 探偵イコール身辺調査イコール尾行、という安直な考えの元、私は今日はオフだという赤井さんの後を尾けていた。
 赤井さんといえば、任務はFBI関係の機密事項が多く何をしているのかよくわからない。一緒にいるときはどちらかの家でのんびりと過ごしたり、彼の愛車でドライブをしているばかりだった。一人でオフを過ごす赤井さんが何をしているのか、彼を知るためには必要な重大任務であると考えた。そんなわけで、赤井さんを尾行中なのだ。
 前日から過ごした彼の家から仕事に向かうと言って、いつも通りに家を出た。出勤したと見せかけて近くのカフェに入り赤井さんの動向を探る。もちろん会社には有給を申請した。ちょっとした事件でして……。深刻な声色でそう言えば、すんなり有給の許可が出た。こういうとき、よくわからない事件に巻き込まれがちな私の事情――たぶんそれは周りの人たちによるところが大きいと思う――を察してくれる上司には感謝したい。
 コーヒーをちびちびと飲みながら外の様子に注意を凝らしていると、エントランスから出てきた赤井さんを見つけた。標本のような体躯は、適当なTシャツとジーンズでも彼を優雅に飾り立てていた。サングラスも様になりすぎて、そんなかっこよすぎる格好で外を歩かないで! と言いたいところなのだけど、言いに飛び出せばこの尾行がバレてしまうのでぐっと堪える。
 数メートル距離をとって、姿を見られないように物陰に隠れて彼を見守った。通りすがりのお爺さんが怪しげにこちらを見ている。怪しいものではないです、と主張してもきっと信じてもらえないだろう。
 事前に調べた『プロが教える尾行のテクニック』に書かれていたポイントを思い出す。
 その一。ターゲットに振り返られてもいいように、足元を見て視線を合わせないようにすること。
 普段ならどこへ行くにも愛車で出かけるのに、今日は歩きたい気分なんだろうか。赤井さんはこちらに気づく様子もなく、すたすたと道を歩いていく。いつ振り向かれてもおかしくないように気を張っているのに、全くその気配がない。ビュロウの誇る捜査官だというのに、こんなことで大丈夫なんだろうかと余計な心配をしてしまう。任務中にミスをすることはないにしても、こうしてタチの悪いストーカーが跡をつけていたらと思うと心配で仕方がない。
 その二。こまめな変装で印象を変えること。自宅にあるものが限られるため、カフェを出てから持っていたキャップとメガネを装着した。
 その三。周囲に溶け込む演技をすること。ターゲットが振り返った時などオロオロしていては怪しまれる。スマホを触っているふりをしたり、自然な振る舞いを心がけること。
 ふと、赤井さんが足を止めた。路肩に停まっていた移動式のコーヒーショップに立ち寄るらしい。オーダーの後、煙草を取り出してマッチに火をつける。その一連の動作が、この世のものとは思えないくらいにかっこいい。尾行中でなければ、撮影会に興じていたのにこのスマホのカメラでは音でバレてしまう。同じく、近くを通りすがった小綺麗なマダムの目が赤井さんに釘付けになり、そして連れていた大型犬を巧みに操って声をかけていた。
 赤井さんも赤井さんで、その大きなワンちゃんの視線に合うようにしゃがみ込んでわしゃわしゃと撫でている。ずるい。マダムの目がハートになっていたのを私は見逃さなかった。
 そんな中、ちらりと赤井さんの視線がこちらに向けられたような気がして、私はハッとして慌ててスマホに視線を落とした。もともと死角になるところに身を置いていたし見つけられたという可能性は低いはずなのだけど、なんだがドキドキとして背筋が落ち着かない。目的もなく画面に指を滑らせた。
 息を潜めてそっと顔を上げると、赤井さんはコーヒーカップを手にしてこちらに背を向けていたのでほっと安堵の息を漏らす。
 るんるんとスキップでもしそうな足取りで、後を去っていくマダムとワンちゃんが羨ましい。私は犬になりたい。もういっそ、仕事抜けて来ましたとかなんとか言って、赤井さんの前に登場してやろうかなんて考える。
 新一くんのように難しい話はできなくても、一緒にいてもらえるだけで相当幸せ者なのではないか。二兎を追うものは一兎をも得ず。欲張ると碌なことがない。
 本捜査の目的:赤井さんを知ること
 捜査方法:尾行
 結果:赤井さんはいつでもどこでもかっこよかった
 考察:一人で外を歩かせたら危険
 まとめ:好き
 このくだらない尾行捜査の結果を新一くんに送りつけると「赤井さんに言え」と返事がきた。バレないようにやっているのに言えるわけないだろう。
 いつしか陽も高くなって、気温も上がってきた。キャップを取りスマホから顔を上げると、そこには。
「あ、赤井さん……」
「探偵ごっこは楽しめたかな?」
「えっ!」
 しどろもどろ、内心大慌てで目の前の赤井さんを見上げる。
「ぐ、偶然ですね」
「ほー。そうくるか」
 はぐらかしても無意味だった。プロに教えてもらった尾行テクニックを駆使したはずなのに何故……。
 いつのまにかサングラスを外した赤井さんはこちらを見つめて、可笑げに目を細めた。
「あの、いつから……?」
「家を出たあたりだな」
「ほとんど最初からじゃないですか!」
 恥ずかしい、と両手で顔を覆う。
の熱烈な視線ですぐに気づいたよ」
「……すみませんでした」
 ほとんど半べそをかきながら謝ると、反対に赤井さんはくつくつと喉を鳴らして笑っていた。
「……何で笑うんですか」
「いやなに……随分可愛らしい探偵もいたものだなと」
「馬鹿にしてますか?」きゅっと瞼に力を入れて赤井さんを見上げる。
「褒めてるんだが」
 困ったような、それでいて笑いを含んだ様子の彼に不満げに唇を尖らせる。
「だって、赤井さん。新一くんとすごく仲が良いじゃないですか。羨ましいって思って……」
 私も赤井さんの好きなものとか、赤井さんが楽しい話をしたいのに。
「ボウヤとは違うだろう。それに、といて退屈しないことなんてないが……」
「ええー、嘘だぁ」
「今も楽しんでるよ」
「…………」
 そりゃそうだろう。この愚行が見つかってから赤井さんはずっと可笑しそうに笑っている。
「……赤井さんが楽しいなら良かったですけど」
 不本意ながらそう答えると、赤井さんにわしゃわしゃと頭を撫でられる。
「俺の周りにはボウヤと合わせて二人もホームズがいるわけか」
「どっちかというと赤井さんがホームズだと思いますけど……」
「じゃあ君は」
「……ハドソン夫人?」
 ホームズの相棒といえるワトソンの名を挙げるには敷居が高い。ホームズとワトソンの活躍を一番近くで見られるのは、やはり彼女だろう。それを言えば、なにが面白かったのか赤井さんは声を立てて笑った。
「……はは、そこはアイリーン・アドラーとでも言ってくれ」
「あ、」
 そういえばホームズの「特別な女性」と謳われた人物がいるのを思い出した。作中では美しく聡明なアイリーン・アドラー。それもなんだか敷居が高い気がする。
 後日、尾行の結果を改めて新一くんに報告したところ「惚気話はよそでやってください」なんて言われてしまった。

20230516