Happy Birthday 2016
「岩ちゃんの欲しいもの?」
及川はううん、と喉を唸らせて考え込んだ。
は、これから発せられるであろう及川からの言葉を一語一句聞き逃すまいと身を乗り出す。
「岩ちゃんの欲しいものねえ……」
「何か聞いてない?」
「う〜ん……。あっ、身長!?」
ハッと思い付いたように及川は人指し指を立てる。
「無理です……!」
「だよねえ」
上がった眉は再び下げられ、今度は二人で首を傾げて考え込む。
岩泉はたびたび身長についてぼやくことがある。しかし、それはが簡単にあげられるものではなく、候補にすらならなかった。
岩泉の欲しいもの。二人で知恵を絞っても、ピンとくる考えが思い付くことはなかった。
梅雨入りしたというニュースを最近耳にした通り、連日、雨や曇りであいにくの天気が続いていた。洗濯物が乾かなくて困るわ、と言う母のため息が多くなるのと反対にの気分は上々だ。
もうすぐ岩泉の誕生日だ。
携帯のスケジュール帳にはもちろん家のカレンダーにも、赤マルどころか花マルをつけてずっと前から楽しみにしていた。岩泉自身はもうすぐ自分の誕生日であることを覚えているのか微妙なところだが、からすればこの日のために生きてきたと言っても過言ではない。それを、今目の前で唸る友人に伝えたところ「さすがに引く」と顔を歪ませた。
「……もう本人に聞いたら?」
「驚かせたいじゃん……」
「岩ちゃんならなんでも喜ぶよ」
及川のその言葉は本心でもあり、諦めの気持ちも含んでいた。
及川の言う通り、が選んだものであれば岩泉は何でも喜ぶだろう。たとえそれが、その時岩泉が欲しているものでなかったとしても、彼女が自分の為に選んだものを無下にするような男ではない。もちろんそれはも理解している。しかし、せっかくの誕生日なのだ。何かしてあげたい、と思ってしまうのもの性分だった。
「女ってサプライズ好きだよなー」
誕生日プレゼントのリサーチのために一組の教室へ行くと、松川の隣に花巻の姿もあった。はタイミングの良い二人に指を鳴らし、及川にしたのと同じように二人に尋ねた。
すると、眉を下げて苦笑を漏らしながら先の言葉を言ったのは松川だった。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。は気になったが、あったとしても松川は教えてくれないだろうと思って、それ以上聞くのをやめた。
だらしなく椅子に座る態度とは反対に、意外にも真剣に考えてくれている様子の花巻は松川の発言を聞いて「俺はそういうの好きだけど」と口端を緩める。
「花巻がサプライズするの?」
「まあ、したりされたり」
「へえー」
は、最近できたという花巻の彼女の姿を思い出していた。友達同士のような雰囲気の二人が、そういったことをしているのはなんとなく想像できる。羨ましいなあ、と溢すと「やればいいじゃん」と花巻は簡単そうに言うので、は唇を突き出した。
「だって、思い付かないんだもん……」
呟いたその言葉に松川と花巻は顔を見合わせる。
「つーか、本人に聞くのが一番だぞ」
「えぇ〜」
「プレゼントなら一緒に買いに行けば? 欲しいもんあげられるしデートもできるし、一石二鳥じゃん?」
「そ、それだー!」
ガタン、と椅子が揺れた。
立ち上がった拍子に後ろに倒れそうになる椅子を支えながら、は二人にお礼を言って教室の扉へと向かった。その背中に、コーラとシュークリームと声がかかる。岩泉へのプレゼント資金確保のために財布の紐は固く結んであるのだが、明日の昼休みは売店へ駆け込むことを決めた。
*
「顔やべーぞー」
別の日。
朝の天気予報の通り、今日は一日中どんより雨模様らしい。天気と同じくらい重苦しく俯いたを見て、花巻はシュークリームを貪りながら苦笑を漏らした。
先日の二人からのアドバイス通り、一緒に出かけてプレゼントを、と計画していたのだが、肝心の誕生日当日は平日で放課後はもちろん部活がある。そもそも岩泉は平日も部活で忙しくしているため、デートをすること自体が至極稀なことだった。
「別に当日じゃなくてもいいんじゃね?」
「え〜」
「お前はまた……。そういうのはキモチだって! 岩泉もそんなことこだわってないだろうし」
呆れて大きくため息を吐く花巻の言葉に、は声を詰まらせる。
花巻の言うことは最もだ。これではただの独りよがりになってしまう。全くこだわられていないのも少々寂しいものがあるが、もう一度考え直すことにした。
花巻に礼を言うと「ん」と手が差し出される。その意図がわからず、首をかしげてその手のひらの上に手を乗せると「ちげーよ」と花巻が眉を寄せて笑う。
「え? あ、シュークリームか」
「そ〜」
「お金ない」
「はあ? 百円じゃん」
「花巻に消える百円も惜しいの」
「ケチかよ」
「うん、ごめん」
「まぁいいわ。その分岩泉のこと祝ってやってよ」
「もちろん!」
ひらひらと手を振る花巻に背を向けて、は教室を後にした。
*
金曜日。
湿気はまとわりつくものの、悪くない天気だった。
いつものように部活を終えて部室に戻ると、おかしなパーティーメガネをかけた後輩に岩泉は眉をひそめた。
「――あぁ、誕生日か」
「ちょっと岩ちゃん! ついこの間その話したよね!?」
「したけど、忘れてたんだよ」
口を揃えた低めの「ハッピーバースデー!」という声と、パァン! と鳴らされたクラッカーから飛び出た色とりどりの紙の紐を払いのけて、岩泉は言った。
及川が「誕生日もうすぐだよね? 何か欲しいものある?」と聞いてきたのはつい先日のことだ。欲しいもの、と言われてパッと思い付くようなものはない。あえていうなら身長だろうか。阿呆くさいと思いながらも身長、と言えば及川は「無理に決まってるでしょ!」とぷりぷりと頬を膨らませた。
汗でベタつく練習着から制服に着替えると、誰かが用意してくれたのだろう「バレー部のみんなからだよ」と小さめのホールケーキがテーブルに置かれた。
「ロウソクは危ないからナシね!」
及川が使い捨てのフォークを適当に配ると、皆が一斉にそれをつつく。岩泉は甘いものをそこまで得意としないので、二口ほどその甘味を堪能すると、残りは必死に貪り食うようにケーキに飛び付く部員たちに譲ることにした。
男所帯に運動後ということもあり、ケーキはホイップの一塊も残さず、全てあっという間に平らげられた。
さようならの挨拶の代わりに「誕生日おめでとうございました!」と口にする後輩たちに手を振り、それぞれの家に向かって帰路を歩く。
「……なあ、」
「ん?」
「、何か言ってた?」
タイミングを見計らって発せられた花巻の言葉に、少し離れたところを歩いていた松川と及川がさっと二人に近づいて聞き耳を立てる。
「何も」
「えっ」
「知らねんじゃねえの」
「……マジか」
あっけらかんとして言う岩泉に、及川と松川、それに花巻は噴き出したい衝動に駆られたが、それは内心に留めておく。そして、今日のために悩み、走り回り、何度も相談に乗ってきた彼の恋人に同情した。
「知ってるでしょ〜。さすがに」
「言ってねえし」
「言ってなくても調べるもんなの!」
思わず声を荒げた及川に、そういうもんか? と首を傾げる岩泉には微塵も悪気はない。三人は、岩泉がこういった男であることを理解しているし、も彼の垢抜けないところに惹かれているのだと知っている。
しかし、の方も極端すぎた。プレゼントが用意できていなくても、おめでとうの一言くらい先に言ってしまえばいいのに。お互いにとことんクソ真面目なカップルだと、三人は内心盛大にため息をついた。
家の近くで及川と別れて、家の前に座り込む影が岩泉の視界に入る。不審に思って、薄暗い住宅街の通りに目を凝らすと、岩泉の足音に反応してその姿が現れた。
「……は?」
「き、来ちゃった」
へにゃりと力なく笑って言うに岩泉は眉を顰めた。
「何してんだ」
「あ〜、えっと、」
目を見開いて、岩泉は口を開く。驚きのあまり思ったよりも小さく出た声は、すぐそばに寄っていたに届いたらしい。
「誕生日の、お祝いに……。誕生日おめでとう!」
「あー……、知ってたんだな」
「当たり前だよ!」
は憤慨したように声をあげた。
何も準備できていない状態で岩泉の元へ行くのは憚られたからだと言い訳の言葉を続けたが、岩泉にとってはどうでもよいことだった。
自分の生まれた日を祝ってもらえることはもちろん嬉しいが、特別何かしなければ、してもらわなければいけないという概念もない。
日が長くなったとはいえ、もうほとんど日が暮れる時間帯だ。女一人でいるには少々警戒心が薄いように思う。そのことについて説教でもしてやろうと思ったのに、 「でも、やっぱり直接言いたくて来ちゃいました」そんなことを言われてしまえば、の気持ちを無下にもできず、頬を掻いて礼を口にした。
「あ、あとこれ」
「?」
「ジャーン! 『なんでも買ってあげる券』。時間取れるときにどこかに出かけられたら、そのとき岩泉の欲しいもの買うから!」
「リサーチしてたんだけど、何も思いつかなくて」そう言ったが手渡したのは、きれいに切り取ったノートの一部だった。
そこには、『岩泉の欲しいもの買います。期限:なし』と、丸いクセのある字で書かれていた。誕生日の前に、及川たちがしつこく聞いてきたのはのことだったのかと岩泉は理解した。
じっとそれを見つめていると、心配そうにが岩泉の顔を覗き込むようにして様子を伺った。
「だ、ダメだった? こういうプレゼントは……。やっぱり何か用意すれば良かった?」
「や、今度使わせてもらうわ」
「う、うん!」
ぱっと顔を綻ばせたを見て、岩泉は目を細める。
ゆっくりと出かけることが、そう簡単ではないことはわかっているが、近い内必ず二人で使おうと決めた。
用件を済ませたはその場から離れようと、バッグを持ち直す。帰るなら送っていく。そう言った岩泉にやんわりと断りを入れたはずなのに、彼は玄関を開けて荷物を放り込むと、行くぞとの手を引いて歩き始めた。
「つーか、。来るなら連絡しろ。それか部活終わるまで待っとけ」
「あ、うん。なんか、ギリギリで会いたいなと思っちゃったから、もう学校にはいなかったんだよね。連絡しなかったのは、ごめん」
これ以上説教が出てこようとしていた口は閉じ、岩泉は何も言わず、握った手に力を込めた。
建ち並ぶ住宅から、漏れる光は暖かく、夕飯の美味しそうな香りが鼻をくすぐる。がいたことで少しの間忘れかけていた空腹感が再び戻ってくる。壁を隔てた家庭の音と、 二人の足音がだけが聞こえる閑静な住宅街に、腹の虫の声が響いた。
「ていうか、ごめん。岩泉の夕飯遅くなっちゃうよね」
「あ? いいわ。そんくらい」
「きっとご馳走だね」
お腹減ってきた。漂う夕食の香りと、自宅の夕飯のメニューを想像して、空いた手でお腹を押さえながらは唾を飲み込んだ。
近くにある田んぼから蛙の合唱をBGMにして、二人で他愛もない話をした。
半分ほど歩いたところで、岩泉が思い付いたように「ああ」と声をあげた。
「何かあった?」
「あった。欲しいもん、つーか、」
「え、何?!」
腕にすがりつくように跳ねたの勢いに押されて、一歩後ずさる。期待を込めて揺れる瞳が、真っ直ぐに向けられていた。
「名前」
「えっ」
「名前で呼んでもいいか」
「え、わたしの?」
は目を丸めた。欲しいもの、というから何か物を言われるのだと思っていたのに、岩泉は意外なものを口にした。
岩泉はそんなの反応を見て、視線を逸らすようにそっぽを向き、頭を掻く。
「……俺はって呼んでんのに、及川は名前だろーが」
「ああ、たしかに。え? でも、そんなことでいいの?」
「ダメなのかよ」
「全然!」
「むしろ呼んでほしい!」とはそわそわした様子で岩泉を見る。期待を込めてぎゅっと握った手が熱い。
岩泉は、すう、と落ち着かせるように息を吐いて、口を開いた。
「」
一瞬息を飲んだ。
先程まで視線を逸らしていたはずの岩泉の瞳に真っ直ぐに見つめられて、 はじわじわと顔に熱が広がるのを感じて、手のひらで顔を覆った。
「ま、待って……」
「は?」
「そ、想像以上の破壊力で、あの……、恥ずかしいんですけど」
はゆっくりと息を吐いて、心を落ち着かせる。
聞き慣れた、呼ばれ慣れたはずの自分の名前が、岩泉の口から出ると、なんて特別な意味を持つのだろう。
「やっぱりナシ! 名前呼ぶのナシ!」
「はあ? 何でだよ」
「恥ずかしいから!」
それ以上の理由はない。名前なんて、毎日飽きるほど呼ばれているのに。たった一度、岩泉から呼ばれただけでこうなってしまうのに耐えられるわけがない、とは思った。
それに納得しないのが岩泉で、顔の前に置かれた腕を掴むと顔を覆っていた手を退けた。は力を加えて必死に抵抗するが、岩泉からすれば可愛いらしいものだった。
赤くなった顔を岩泉に見られるのが恥ずかしくて、ひっと小さく声をあげて顔を俯かせた。
「……そんな照れるか?」
「照れるに決まってる!」
岩泉は眉を寄せて、を見る。そして、思案したあと、思い付いたとばかりに口端を引き上げた。
「わかった。じゃあも名前で呼んだらいいんじゃねえか」
岩泉の言葉に、はばっと顔をあげた。そして、すぐにぶんぶんと首を振る。
「む、無理! ていうか、じゃあって何! 無理です!」
「何でだよ」
「は、恥ずかしいから!」
先ほどから、恥ずかしい、の一点張りで断固拒否を決め込むに岩泉はニヤリと口角を上げる。
「誕生日」
「な、なんで、ここで出してくるの……! ずるい!」
「ここで出さなくていつ出すんだよ」
先程まで嬉々としていたの一変した様子に、岩泉は苦笑を漏らす。
顔を真っ赤にしながら、パクパクと口を開ける姿が、昔飼っていた金魚を思い出させた。
「〜〜〜ッ!」
「おら、早くしないと家着いちまうぞ」
「……………………は、……はじめ」
唇は震え、とても小さな声であったが、岩泉の耳にしっかりと届いていた。
縮こまったの頭をかき回すようにして、岩泉の手が撫でる。
自分だけが恥ずかしいばかりで悔しい、と顔をあげると、耳の端をほんのりと赤く染めて笑う岩泉が、あまりにも嬉しそうだったので、は何も言えなくなってしまう。
せっかくの誕生日だったのに、全くそれらしいことをしてあげられていない、とは内心で反省していたが、こんな些細なことで喜ぶ岩泉を見て、それすらも余計な考えだったと気づく。
名前だけを呼ぶだけでこんなに照れてしまうのも、呼ばれるだけで胸が苦しくなるのも、きっとこれからこの人だけだろう。
街灯の灯りで通りに伸びた二つの影が、霞んだ星空の下で小さく揺れた。
生まれてきてくれてありがとう!
20160612