球技大会の話

 春の陽気、というには強すぎる日差しがグラウンドを照りつけていた。学校の敷地内に植えられていた桜もほとんどが緑の葉に変わった。 本格的に梅雨に入る前に、一足先に夏が来たように感じた。
 ジャージに着替えて体育館へと向かう途中、植えられた緑が太陽の光に反射して、眩しくて目を細める。
 校内はがやがやと賑やかな雰囲気に包まれている。今日は一日授業はお休みで、球技大会。一学期の一大イベントである。

 いくつかあるうちの体育館のひとつ、ここではバレーボールの試合が行われている。
 他クラスの試合を観戦しながら、不安と憂鬱でため息をこぼす。 体育館の隅に腰を下ろして、気合い十分な生徒たちとは反対に、一人緊張と不安で押し潰されそうになっていた。
 球技大会の種目は絶対にドッチボールにしようと決めていた。一番簡単で、ボールを投げるのは適当に男子に任せてしまえば、あとは逃げるだけだ。当たったときは痛いのが難点だが。みんな同じように考えるのか希望者が多く、ジャンケンの結果、運悪く一番苦手なバレーボールに決まってしまった。ワールドカップやオリンピックでの試合を観戦するのは好きなのに、自分がプレーするとなったらてんでダメだ。
「……球技苦手なのになんでバレーなんだろ」
のコントロールな。あれは笑ったわ」
 隣には花巻がしゃがんで、自分のクラスの試合の様子を観戦していた。 花巻は自身の参加種目であるドッチボールで、早々に敗退したらしい。
 ずるい。羨ましい。
 そういう視線を向けていたのがわかったのか「ドンマイ」と花巻に肩を叩かれる。目が笑っていたので、ムカついてお返しとばかりに強めに背中を叩いてやった。
 そのとき、どちらかのクラスが決勝点を入れたようで体育館内がドッと湧いた。
 この試合が終れば、いよいよわたしたちのクラスの試合だ。対戦相手は一年生らしい。 ハンデになるからという理由で種目の部員は入れないという決まりがある。現役バレー部員はいないとは言え、経験者なのかバスケ部なのか高身長の生徒が揃っているし、体育会系を集めているとみた。それを見ると、吐き出す空気が全てため息になる。
 優勝したクラスには豪華景品が、などという煽るような生徒会からのお知らせに全校生徒が湧いていた。クラス委員を中心としたクラスメイトからの「絶対勝って来いよな!」という激励が余計なプレッシャーでしかない。
「まあ、試合っつっても授業レベルだし、ボール来たら適当に腕出しておけば大丈夫だって」
「簡単に言わないでよ。あのボール、ほんとに痛いんだからね! ほら!」
 ところどころ痣になった両腕を主張するように伸ばしてみせると、「知ってるわ」と花巻は言った。彼もバレー部だ。知らないわけがない。
 今日まで、この日のためにと同じ種目に出るクラスメイトたちとささやかだが練習を積んでいた。残念ながら、へたくそな奴が付け焼刃で練習したところでちょっとへたくそな奴に上がっただけだったが。
「岩泉に教えてもらえたんならよかっただろ」
 「役得、役得」そう言って花巻は笑う。
 岩泉は、球技大会のために部活も忙しいのに関わらず昼休みの時間を私たちの特訓にあててくれたのだ。結局私はヘタクソから抜け出せなかったが、運動神経のいい人やセンスのある人はぐんぐん上手くなった。あまりのノーコンっぷりに呆れた岩泉が、私に与えた使命は『とりあえず手を出せ声を出せ』だ。
「岩泉に教えてもらったんだから、負けるわけにはいかねえよな」
「……うん」
「ダイジョーブだって! にバレーの才能がないのは岩泉もわかってっから」
「そうじゃなくて! いや、それもあるけど!」
 ハア、と息を吐いて、体育座りをした膝の隙間に顔を埋める。自分の試合も心配なのだが、今日を憂鬱としているのにはもう一つ理由がある。

「ねえ! 岩泉先輩のクラス勝ったらしいよ!」
「マジで! じゃあ次の試合見れるじゃん!」
 キャ〜! と後輩たちの黄色い声を背後に聞いて、花巻はああ、と察したようだった。
「岩泉か。この時期やたらモテるよな」
「うっ…、やだ」
「大丈夫だろ」
「大丈夫だけど…」
 同じ部の幼馴染みがあまりにも目立ちすぎるから普段名前が挙がらない岩泉だが、運動神経よし、体力バカ、根性ありとのことで球技大会などでは重宝される。そして、彼は期待通りに働いてくれるのだ。
 いつもは『及川さーん』とキャアキャア騒ぐ女の子たちも、この日ばかりは岩泉にも同じように声援を送る。
 そんな岩泉の姿を誇らしくもあり、こんな時ばかり騒ぐ彼女たちを妬ましくも思う。岩泉はずっと前からかっこいいのに、気づくの遅いよ! と叫びたい気持ちだ。
 ピーッと笛の音が響いて、試合が終了した。花巻は自分のクラスメイトたちに「お疲れ」と声をかけていた。
 いよいよだ、と萎縮する私の背中をバンっと叩いて「ほら、行ってこい」と送り出してくれた。
 コートの脇では次の試合を行うメンバーがちらほら集まってきている。

 後ろからかけられた声に振り向くと、噂をすればなんとやら。岩泉だった。
「お疲れさま。聞いたよ。勝ったってね」
「おう」
「よかったね」
 いつもはうるさいくらいに絡んでいくのに、それがないからか岩泉は不思議そうな顔を向けた。
 バレーも不安、岩泉がモテて不安。今日一日だけで、負のオーラに侵食されてしまいそうだ。
「…………」
「? 緊張してんのか」
「……そんなとこ」
「大丈夫だべ。声出しとけ」
 沈黙を、岩泉はこれからの試合への緊張だと思ったようだ。
 これから集合だということを伝えると「俺も行くわ」と、岩泉と一緒にチームの元へ向かう。
 どうやら聞いた通り、彼の出場しているソフトボールは順調に勝ち進んで、次は決勝戦らしい。岩泉の後に続いていくと、ちょうど体育館の中を吹き抜けた風と一緒に太陽と土と汗の匂いを感じた。今日は良すぎるくらいの晴天だから、グラウンドの競技に出る人たちは大変そうだ。
 他のメンバーと合流して、作戦の最終確認を済ます。『ボールをよく見ろ、声出せ腕を出せ』という私の使命は変わらない。
 みんなで円陣を組むことになってうろうろと場所を決めかねていると、隣にいた岩泉に「汗くせえけど悪い」と引き寄せられる。腹を括って試合に集中しようとしていたのに、一瞬でそれもないものになった。



「お疲れさん」
「……すっごい疲れた」
「ちゃんとボール飛んでたぞー」
「散々フォローしてもらってだけど……」
 試合中、コート内でバタバタと騒がしく動いていた記憶しかない。 チームメイトの助けもあって、自分の方へ向かってきたボールはなんとか落とさないように上げたつもりだが、必死すぎて何をどうやっていたかあまり覚えていない。両方の腕がじんじんと熱を持っている。
 岩泉の姿を探して辺りを見渡していると、試合が始まるからグラウンドへ戻ったということを花巻が教えてくれた。
 無事に勝ち進んだ私たちも次の試合まで時間があるからと、クラスメイトたちの応援にグラウンドへ向かうことにした。
「おー、頑張ってんな」
「……外あっつ」
「愛しの岩泉が活躍してんのに何言ってんの。ちゃんと見とかなきゃ他の奴らにとられんぞ」
「見てるし!」
 隣で花巻が「キャー! 岩泉! カッコイイ!」なんて裏声で叫んでいるのをキモイとこぼせば、「の代わりに応援してんの」と言われた。
 そんな花巻へ一瞥をくれて、岩泉の方へ必死に目を凝らす。
 打席に立っているのはちょうど岩泉で、さすが、決勝ともなれば対戦相手のクラスのチームもなかなか強そうだ。
 マウンドに立つピッチャーが経験者かと思うくらいの豪速球を投げつける。二球、三球とボールやファールを繰り返す。ギャラリーも多く、クラスメイトたちの声援に交じって女子生徒の黄色い声が耳に入る。声のする方へ視線を向ければ、先ほどとは別の、キャーキャーと騒ぐ女の子たちが目に入って、その子たちの岩泉を見る目が自分のそれと全く違わないものだとすぐに気づいてしまった。岩泉ってこんなに騒がれるような人だったっけ。いつも自分だけが好きだと思っていたから、こんなに彼のかっこよさに気づいた人がいると思うとどうしようもない焦燥感を覚える。
 一番に盛り上がる試合の戦況のはずなのに、岩泉から目を逸らしたくなった。
「……ねえ、私やっぱ戻る」
「コラコラ」
 ぐっと花巻に腕を掴まれて、体育館へ向けようとした足はその場で地面を踏み直しただけに終わる。
 ツーアウト、追い込められたところで一歩下がった岩泉にごくりと喉が鳴る。ほんの数分、ただ立っているだけなのにじりじりと太陽が肌を焼いていく。じんわりと染み出た汗がその肌を伝っていった。
 わぁっと沸いた歓声に、目を凝らしてみたが、岩泉の打ち込んだボールは日差しに遮られてどこにいるかもうわからなかった。
 グラウンドを駆けて、ハイタッチをしながらクラスメイトたちがホームへ戻っていく。どんどんと点数が追加されていき、ソフトボール部門でわたしたちのクラスの優勝が決まった。
「あ〜、あれは惚れるわ」
「うん」
 ぱたぱたと手をうちわ代わりに扇いで、花巻がぼそりと呟いた。
 賭け寄るクラスメイトたちと一緒に岩泉たちの元へ向かう。おめでとう、と皆に紛れてしまった声も彼の耳には届いたようで、「たちも勝ってたな」と掌を向けた。その意図に気づいて、同じように手をあげるとぱんっと乾いた音を立てて掌をぶつけ合った。そばにいたクラスメイトたちも同じようにハイタッチをして盛り上がっている。
 おろした自分の手を見つめると、体温の高い少し汗ばんだ手の感触がじんわりと広がっていく。にっと歯を見せて笑う岩泉に、ぎゅうと胸を掴まれたような感覚になる。
「――ああっ! 岩ちゃんもう終わってる!」
 ばたばたと駆けてきたのは及川で、ティーシャツの袖を肩まで捲り、前髪は可愛らしいピンで留められていた。聞くのは面倒だからやめておくが、たぶんファンの女の子にでも借りたのだろう。
 その後ろからひょっこりと顔を出したのは松川で、ちょうど二人で鉢合わせたから試合を見に来たところだったと言った。
「松川は何に出てんの?」
「卓球」
「エッ」
「何だよ」
「いや、意外っていうか」
「卓球世界ランクの腕をナメるなよ」
「えっ!?」
 松川の言葉に驚いて声を上げると、花巻が「嘘だから。松川一回戦で負けてるから」と突っ込んだ。
 こうしてしれっと冗談をつく松川をすぐに信じてしまうから、いつになってもからかわれるのだ。
 及川のことは、前に岩泉に聞いたから知っている。毎年バスケットボールで女の子をキャーキャー言わせているらしい。
 「俺たちも決勝だよー」とピースサインを向けた及川に、頑張ってね、と適当に相づちを打った。
「で、球技音痴なはどうなの?」
「勝ちましたー」
「マジ?」
「うん」
 目を開いた松川が「あのノーコンでよく……。チームメイトがすごいんだな」と真面目な顔で言う。松川にノッた花巻に好き勝手に言われたので、文句を言いたくなったがその通りなのでなにも言えない。
「よし、じゃあ賭けよう」
「ヤダよ」
が勝ったら、その場で岩泉にチューしてもらう」
「ブッ――」
 拒否の言葉をスルーして言った花巻の言葉に、ペットボトルの水を飲んでいた岩泉が吹き出す。そのとき水が気管に入り込んだようで、ゴホゴホと咳き込んだ。
「バッ、やるかボゲ!」
「バカじゃないの!?」
 負けて罰ゲームならまだしも、勝ったのになぜそんな罰ゲームのようなことをしなければならないのか。公衆の面前でキスなんて、死んでも無理だ。
「じゃあ、負けたらどうする?」
「おいコラ話を聞け」
「えー、ちゃんからキス?」
「なっ!?」
 しないから! 絶対しないから!
 首が千切れそうなくらい全力で横に振る。岩泉と二人で顔を赤くして訴えると、三人は「いやー、面白いことになってきた」とニヤニヤと笑う。
「ほら、もうすぐバレーのお時間ですよ」
 言いたいことはたくさんあるのに、花巻に背中を押されて体育館へ連れられて来た。勝っても負けても罰ゲームだ。からかっているだけなのだから、本当にしなくてもいいのだと自分で言い聞かせた。
 前の試合が終盤に差し掛かり、脇で準備運動をしている対戦相手を見て、ごくりと唾をのみ込んだ。
「……やばい、緊張してきた」

「い、岩泉」
「全力で勝ってこい」
 呼び止めた岩泉が真面目な顔で言うから、思わず口が空いてしまう。体育館内の日陰のせいで、長時間日差しを浴びた火照った肌色が余計に目についた。
「……え、チューしてくれるの?」
「は? するか」
「そ、そうだよね」
 岩泉までも、花巻たちのふざけた賭け事に乗ったのかと思ってしまった。恥ずかしい勘違いに顔を下げると、岩泉がグーにした手を突き出す。同じように片手を握ると、ゴツンと拳がぶつかった。
「……のがんばり次第ではなんかやるわ」
「えっ」
 少しだけ声を落として言った岩泉の声に顔をあげると「頑張ったらな!」と念押しされた。
 そばでヒューヒューと囃し立てる野次三銃士は置いておいて、今なら岩泉ばりのアタックだって決められるかもしれない、とあり得ない希望を抱いた。
20160428