卒業式の話
※卒業ネタなので苦手な方はご注意ください
「卒業生、起立」
スピーカーを通して流れたかけ声に反応が遅れてしまった。ガタガタっとパイプ椅子の音が体育館に響いたのとワンテンポ遅れて慌てて立ち上がった。必要以上に姿勢を正して気をつけをする私に、出席番号がひとつ後ろの友人が肘で小突く。幸いなことに周りはクラスメイトたちに囲まれていたからそこまで目立つことはなかったと思う。前方の人の隙間から見えた岩泉と目が合って口パクで何か言われた。読唇術に長けているわけではないが、あれはわかる。呆れたような表情を浮かべて『アホ』と口を動かして岩泉はまた前を向いた。
式のために設置された暖房器具はあるものの体育館は冷え込んでいた。もう三月だというのに朝方家を出るときには雪もちらついていたのだから、そりゃあ寒いわけだ。校長の長ったらしい話は聞き流して制服のポケットに忍ばせたホッカイロで冷えた指先を温める。
「一言だけ言っておきたいことがあります」と言っていたのに校長の話には十分もの時間を要した。こういう場での大人の一言ほど信用ならないものはない。
思えば、長いようであっという間の三年間だった。
この学校で過ごした日々があまりにも印象深くて、いつまでも高校生のままでいたいなんてバカなことを考えてしまう。いい大人になれとか人生悔いのないように過ごせと言われても実感が湧かない。
思い出に浸りながら式は進行していく。不覚にも在校生からの送辞で目頭が熱くなり、学年代表の答辞で涙腺が崩壊した。小学生の時も中学生の時も卒業式で泣くなんてことはなかったから、今回もそうだと思っていた。ところどころで鼻を啜る音が聞こえて、同じ人がいることに少し安心する。もしかしたら寒さからくる鼻水なのかもしれないが。
それほど、この高校で過ごした三年間が大好きだった。
「ちゃーん」
「お、及川〜〜!」
「アレ、今日はゲッて言わないんだ?」
かけられた声にすがるように近寄ると珍しいと及川に笑われた。
式が終わり、体育館から教室に戻って担任からの最後の挨拶を聞いてまた泣いた。涙でぐずぐずになった顔を直そうにもキリがなくてそのままにみんなと外に出た。
最後に学校で写真を撮ろうと声をかけ合う。県内に残る友人はまだいいが、他の地方や東京、大阪などの都会に出る生徒もたくさんいた。絶対また集まろうねと話していると、本当にこれでもうみんなと離れてしまうのだという実感が湧いてまた目の奥がじんと熱くなった。
今日始めて顔を合わせた及川の制服からはすでにネクタイが消えている。学ランなら第二ボタンを、というのが定説らしいがブレザーである青葉城西では憧れの人にはネクタイをもらうというのが慣習だった。
「ネクタイあげたんだ?」
「なんかジャンケンで決めてたよ」
及川は「すごいよねー」なんて他人事のように首を竦めた。ここに来るまでも後輩やファンの子から写真だのプレゼントだので大騒ぎだったらしい。仄かに滲み出ている得意気な様子が鼻につくが、憧れの先輩が卒業となれば女の子たちが必死になるのもわからないでもない。モテる男は大変だなと思った。
「岩ちゃんは?」
「…………」
「え、なに?」
「……呼び出し」
「エッ」
こちらの気も知らずに目を輝かせる及川を睨み付けた。
「へえ〜、岩ちゃんにねぇ」
「ついに恐れていたことが……」
「別に初めてじゃないでしょ」
「そうだけど……ウッ」
普段はファンの多い及川の影に隠れがちであるが、岩泉もそれなりにモテた。恐れ多くも私という彼女がいたからなかなか声をかける人は少なくなかったが、それでもと諦めずに告白してくる積極的な女の子たちはいた。これはもうしょうがない。私だってきっと今岩泉と付き合っていなかったら玉砕覚悟で突撃していたことだろう。
ぴゅうと吹き抜けた風に鼻が刺激されてマフラーを顔まで埋めた。
「おー、いたいた」
聞こえた声に視線を向けると、ひらひらと手を振りながら松川と花巻がやってきた。岩泉がいないときに三銃士が揃ってしまった。
いつもなら散々からかわれると思うと面倒くさいと感じるのだが、こうやって集まれるのも最後だと思うとどうやら寂しさが勝つようだ。集まろうと思えば集まれるとは思うが、こうして高校生として揃うのは今日が最後なのだ。
「顔やべーな」
「うるさいです」
空気を読まない花巻がほとんど素っぴんになってしまった私の顔をみて笑う。ポケットからスマートフォンを取り出して、おかしそうにパシャパシャと撮るから開き直ってみんなでポーズを取る。
松川がカメラマンに変わり、私と及川、花巻の三人でふざけた変顔撮影会が始まり何回か連写されたところで岩泉がやってきた。
「…………顔やべぇぞ」
「はい……」
「女子としてあるまじき顔が撮れたな。永久保存しとくわ」
「やめてよ!」
「え、どんなん?」
画面を覗き込んでげらげらと肩を揺らして笑う花巻たちを睨み付けて岩泉の元に寄った。岩泉にしては似合わない女の子らしい紙袋が目に入り、相手にプレゼントをもらったんだとわかる。 なんの話だったのなんて野暮なことは聞かなかった。
「またお前らはいつも騒がしいな」
「だってが」
「変顔始めた花巻のせい」
「やー、どっちもすごい顔してますよ」
松川が自身のスマートフォンを手に含み笑いをする。
「消して!」
「消しません〜」
それを松川の手から奪おうとするが彼の身長で腕を目一杯伸ばされてしまってはどれだけ背伸びをしても届かない。他の人に見せないでよと念を押すが「どうしよっかな」とにやりと笑みを浮かべた。
「……松川なんて一生彼女できない呪いにかけてやるから」
「残念。彼女できました」
「えっ!?」
ピースサインを作りながら言う松川に私以上に驚いて声をあげたのは及川だった。
「えっ、嘘でしょまっつん! 聞いてないんだけど!?」
「だってさっきの話だし」
「エッ」
なんでも松川も岩泉と同じく卒業式のあとに呼び出されて、告白を受けたらしい。一つ下の後輩だという。「えー!」と再び驚きの声をあげる及川の横で花巻が手をあげる。
「あ、俺も」
「エーッ!」
花巻は松川と同じようにピースサインして口角を上げた。卒業式に告白をするのは案外いい作戦なのかもしれない。
「可愛い子でした」
「顔かよ」
男四人がどんな子だったかとか何て言われたかと話しているところをよく見れば、花巻も松川もネクタイがなくなっていた。誰かにあげたんだろう。なかなか意地の悪い三銃士だというのにモテていたからきっと知らないところで争奪戦が繰り広げられていたに違いない。
ふと隣に立つ岩泉に視線を向けると、岩泉のネクタイもなくなっている。私は衝撃に声を上げる。
「まっ!?」
「ちゃんどうしたの突然。びっくりしたよ」
「いわ、岩泉、ネクタイどこやったの……?」
「ん? ほしいって言われたからやった」
「バカーー!!」
突然に大声を出した私にすぐそばにいた岩泉は顔をしかめた。久しぶりにこんな大声をあげたと思う。いや、それよりも。
「何であげちゃうの!?」
「使いたいって言われたから」
ケロリとした様子で答えた岩泉にショックを隠しきれない。憐れみの目を向ける三銃士を気にしている余裕もない。
「あーあ、岩ちゃん。ネクタイは好きな子にあげなきゃ」
「……そんな決まりあんのか?」
「決まりっていうか、暗黙の了解っていうか」
ハテナを浮かべて首を傾ける岩泉は本当に知らなかったんだろう。仕方がないとは思いつつも、密かに記念にもらえたらいいなと思っていたからショックだった。
「もう着ねぇんだからブレザーもズボンも使えるやつに渡した方がいいべ」
「え、ブレザーもあげんの?」
「誰その子!? うらやましい!」
「にあげても使わないだろ」
岩泉の制服一式をもらえるなんて宝くじが当たるよりも嬉しいでしょうよ、と見知らぬその相手にふつふつと嫉妬心が沸き上がる。
ふと何かに気づいたように松川が口を開く。
「岩泉」
「おう」
「岩泉のそれって誰にあげんの? 女の子?」
「後輩」
そのあと岩泉が口にしたの名前は私には初めて耳にするものだったが、三銃士はなぜか納得したように「あー」と声をあげた。
「、安心なさい」
「なにを?」
「男バレ部の後輩」
「え、あ、男の子?」
「そ」
「よかったなー」と肩を叩く花巻の言葉にほっと肩の力が抜けた。
「よ、よかった!」
「逆に何で女子だと思ったんだよ」
「岩ちゃんが岩ちゃんで良かったね、ちゃん」
「どういう意味だよ」
どうしても女の子ばかりに意識がいってしまいがちだが、そういえば岩泉は男の子にもモテるのだった。モテるというと語弊があるが『男の憧れる男』というのが岩泉らしかった。相手が男の子だとわかればもう心配することはなにもない。ネクタイは欲しかったというのが正直なところだが。
「なーんか、こうやってみんなでいられるのも最後って思うと寂しいよねぇ」
そんななか及川が神妙な面持ちで発した言葉にみんなの雰囲気が変わるような気がした。
「そ、そういうこと言われると泣くからやめて」
「また泣くともっとブスになるぞ」
「ブスはブスでも岩泉が可愛いって言ってくれるブスにしかならないからいい」
「へえ」
三銃士の視線が岩泉に向けられて「余計なこと言うな」と岩泉に小突かれた。
「俺らと離れんの寂しい?」
「当たり前じゃん」
「俺も構えなくなるの寂しいわ」
ズビッと啜った鼻水は寒さのせいだと、誤魔化すようにマフラーを巻き直す。
岩泉は県内だから会おうと思えばいつでも会える。三銃士はみんな春からそれぞれ関東だ。東京まで仙台から新幹線で一本で楽に行けるとは言えど、きっと新しい環境で新しい友達だってできるし新しいことを始めたりもするだろう。改めて、今みたいに気軽に会うことはできないと思うと寂しいに決まっている。
「帰省したときにまたみんなで集まりたいよね!」
及川の言葉に大袈裟に頷く。
「松川は来てくれなさそう」
「さんわかってませんね。俺は意外と律儀です。来なくなりそうなのはこいつらかな」
松川が指をさしたのは及川と花巻だった。「まっつんひどい!」「そんなことないよなー」と顔を合わせる二人だったが、確かにこの二人は都会でぶいぶい言わせていそうではあると思った。
「じゃあ私と岩泉と松川で同窓会しよ」
「ちょっと! 行くから!」
「仲間はずれすんなよな!」
私の冗談にも口を尖らせて必死に言う二人がおかしかった。
「絶対また会おうね」
「もちろん! 岩ちゃんとこっちにも遊びにおいで」
「おう」
「そうそう、案内するし」
「俺らもまた帰ってくるしな」
離れ離れになるのはとても寂しいのだが、みんなこれから新しい道を歩いていくのだと思うとまだ知らない楽しみもたくさんあるのかもしれない。
近くを歩く生徒にシャッターを押してもらって、制服での最後の記念写真を撮った。
これが終わりではなく新しい始まりになりますように。
20160302