バレンタインの話
ざわざわといつもよりも賑やかな昼休み。そう、今日はドキドキのバレンタインデーである。数日前から今日のために女子も男子も浮き足立ち、一日の終わりには勝ち組と負け組に分かれる恐怖のイベントなのだ。
「なんでいるのかな?!」
一緒にお弁当を食べるためにうきうきと岩泉の元へ寄ったのと同時に、教室に入ってきたのは及川、花巻、松川の三人だった。
「ちゃんからのチョコもらいに来てあげたんじゃん。ねー、マッキー」
「そうそう。わざわざ来てもらうの申し訳ないと思って出向いて来たわけだよ。な、松川」
「俺はまだ生きたいです」
及川と花巻がそう言ってそれぞれの片手を突き出した。しれっと松川はとても失礼だし、もらう前提ばかりか上からの物言いにイラついてぺっとその手を払い落とす。
「ないけど」
「え?」
「チョコレートないです」
「ごめん聞こえない」
わざとらしく顔をしかめて耳に手を当てた及川と花巻は無視して、岩泉と向かい合わせになってお弁当を広げた。 近くにある椅子を引き寄せて席に座った三人は各自持ってきたお弁当や購買で買ったパンを取り出していた。
今日は持ってきたお弁当は二つ。チョコレートも一応は用意してあるが、今日の岩泉の分のお弁当は私が作ったのだ。以前甘いものがあまり得意ではないようなことを言っていたから、チョコレートの代わりにと思い付いたのがこれだった。はいっとそれを差し出してみんなでいただきますと声をかけて、お弁当を開けた。
「……ど、どうですか?」
「ん。つーか、意外と料理できんだな」
「練習しましたもの!」
岩泉に手料理を食べてもらうなんて初めてのことでとても緊張した。時間が経っても美味しいものをと考えて選ぶところから始まり、お母さんにお願いして教えてもらいながら作ったのだ。味に自信があるわけではないが、岩泉の中では「アリ」だったらしくほっと息をついた。
「へぇ、ちゃんって料理できるんだね。意外ー」
「及川うるさい」
「岩ちゃんと同じこと言ったのになんで!」
騒ぐ及川を横目に、岩泉と同じ中身のお弁当に箸をつける。岩泉が好きだと言っていた揚げ出し豆腐は特に何度も練習したし、ちょうど良いとろみがついて冷めてもなかなかイケる味に出来上がったと思う。ちらっと向かいに座る岩泉を見れば黙々と箸を進めているから、なんだか嬉しくなってしまった。そのひとつに箸をのばしたとき、横から伸びてきた別の箸が、ひとつの揚げ出し豆腐をわたしのお弁当からかっさらっていった。
「あっ!」
「……うん、うまいんじゃない?」
犯人は松川だった。私が振り返ったときには松川の口の中にの渾身の揚げ出し豆腐が放り込まれていったところだった。もぐもぐと口を動かして「もう少し薄味が好み」といらない感想を寄越した松川のお弁当からも何か奪ってやるとそこに視線を向けると、残っているのは私の苦手なピーマンの肉詰めで持ち上げた箸をゆっくりと降ろした。
「………ずるい」
「これで良ければあげるけど」
「いっ、いらない!」
忌まわしきピーマンを箸で掴んで、まるで「あーん」でもするかのように松川は私の口に向けて差し出した。これは私がピーマンを苦手なことを知っていてやっている顔だ。本当に意地が悪い。容赦なく迫ってくるそれから必死に遠ざかろうと、がっちりと口を閉じて顔を仰け反らせた。
「やめてください!」
「何、ピーマン嫌いなの? 小学生かよ」
「うるさい花巻のアホ!」
松川との攻防戦を傍観する花巻を睨み付けた。結局ピーマンの肉詰めはその攻防に飽きた松川によって食べられていて、そんなことをしている間に岩泉は「ごちそうさん」とお弁当を完食していた。
「んまかった」
「ほんと!? また作ってくるね!」
「おう、頼むわ」
美味かった、とそう言った岩泉の言葉に思わずガッツポーズをした。まさに作った甲斐があったと言うものだ。ぷるぷると歓喜に打ち震えている間に「俺も食べる」と言って花巻と及川が私のお弁当に手をつけていた。好きなものは後に残しておいたのが運のつき。二人に玉子や焼き魚を食べられてしまい、私のお弁当には白米とおひたしのみ。ひどい! と涙目になりながら憤慨すれば、松川が「さっきの食っとけばよかったのに」と笑うから余計に腹が立った。
「六限体育なのに!」
この時期、体育の授業は大嫌いな長距離マラソンなのだ。岩泉をはじめ、その他三銃士たちは好タイム保持者として名前が貼り出されているのを見たことがある。 しかし、私にとってマラソンとは寒い、しんどい、苦しいの三拍子揃った体育で最も苦手な競技である。そんな授業を控えて十分なカロリーも摂取できないなんてことがあっていいものか。
「三銃士のばかやろう! もうチョコあげないから!」
「えっ、あんの?」
「ないけど!」
「ねーのかよ」
頬を膨らませてそっぽを向いた私に岩泉が「しかたねーな」と言ってかばんからごそごそと取り出したのは、可愛らしくラッピングされた紙箱だった。それはもしやと指をさすと、岩泉は朝練の前に後輩の女の子から受け取ったと言った。
「…………えっ」
「なんだよ」
「い、岩泉ってバレンタインもらえるの?」
私の言葉に岩泉が「失礼なこと言うな」と眉を寄せていたが、私はその贈り物から視線が離せなかった。ラッピングを気にせずバリバリとテープを剥がして現れたそれはナッツの乗ったチョコレート味のパウンドケーキ。今日、異性にチョコレート菓子を渡すなどバレンタイン意外のなにものでもない。ラッピングや手作りだということからして、恐らく本命だろう。
「みんなで食うべ」なんて軽く言った岩泉に待ったをかける。岩泉のことを好きな女の子が今日のために一生懸命作ったものを、昼食の足しになんて食べられるわけがなかった。罪悪感しかない。
「岩泉それはやめよう」
「なんで」
「なんとなく」
「彼女いるって知ってて渡されたもんだから別になんも疚しいことはねーよ」
なんともないように言う岩泉だが私は葛藤していた。
「箸でいいか」と適当に五つに切り分けられたそれを見て、こちら側がどんなに勇気と気持ちを込めて渡したものもどうにも思われてない男子にすればこんな簡単に食べられてしまうものなのだと少し寂しくなった。岩泉のことだから誠意を込めて受け取っているし、ホワイトデーはちゃんとお返しもするのだろう。もんもんとその女子生徒のことを考えながらも、岩泉がそちらに気が向いてしまうのも受け入れられない。本当だったらこの対応に安心するのが普通なのだと言い聞かせた。
「あ、うめーわ」
私の葛藤などお構いなしに花巻たちはパウンドケーキに手を伸ばしている。甘いものを比較的好む花巻がいうのだからその通り美味しいのだろう。つい先ほどまでこの女子生徒を気遣っていたはずなのに、美味しいと口に運ぶ彼らを見てくだらない嫉妬心が芽生えたのに気づく。自分の分のケーキを口に入れて、それを悟られないようにごくんと一緒に胃に押し込んだ。
「俺ももらったやつ部活終わったら食おーっと」
「えっ、花巻もバレンタインもらえるの?」
「、前から思ってたけどお前は俺への態度をもう少し改めるべき。残念ながらもらってますぅー」
「義理じゃない?」
「義理もある」
わざわざ『も』を強調して言った花巻は親指と人差し指で小さく四角と作ってそこから目をのぞかせていた。きっとチロルチョコのことを言っているのだろう。へぇと頷くと、彼らは三組のあの子にもらっただとか後輩に呼び出されただとかを自慢気に話していた。私もそれくらいのチョコレートなら三銃士たちに用意しておいてもよかったかもしれないと思った。
「……岩泉くん、他にもらうご予定は?」
「がなかったらないだろ」
「たぶんな」と言った岩泉に胃の中でもやもやとくすんでいたものがさっとなくなるような感覚がした。岩泉はああは言ったが、きっともっとたくさんの女の子が彼への想いを持っているはずだ。奇跡的にそれを受け入れてもらえたのが私だっただけで。
「なんかもう、岩泉好き!」
「どうした突然」
「俺も岩泉好きー」
「俺も俺もー」
「えっ、何みんなして。俺も岩ちゃんのこと好きだけど!」
教室で突然岩泉への告白大会を始めた私たちの周りにいたクラスメイトは何事だとこちらに視線を向けた。伝えられるときに伝えなければ、ふとそう思ったのだ。
「俺の方が好きだしー」
「は? 私の方が好きですけど?」
「いや、俺でしょ」
くだらない競い合いノッてくる花巻も及川も、もうどうでもいいわという顔を隠さない岩泉にニヤニヤした視線を向けて「モテモテだな」と言う松川の言葉にも、きっとわたしをからかう意味も含まれているのだろう。
バレンタインなんて浮いたり沈んだり忙しいイベントだ。相変わらず騒がしいモテモテ四人組に、バレンタインの代わりになる差し入れでもしてあげようと、放課後コンビニへ走ることを決めた。
20160213